武士道にそそられ本書を手に取ってみました。
まず「葉隠」とは何でしょうか?
時は江戸時代、某佐賀藩士が既に隠居していた同藩の元幹部の話を聞いて記した書物です。
その後の日本でも高く評価されています。
どんな内容なのか?
「武士道と云は死ぬ事と見付たり」
「生よりも名誉」
いわゆる死の哲学です。
なぜ佐賀藩なのか…?
それは全国にいくつもの藩が当時あったわけですが、特にこの思想が強かったのです。
佐賀藩主鍋島家は元々九州大名の竜造寺家の家老でした。主家を倒すといった下剋上の経緯ではなく、後継に有望な者がいないという理由で、譲り受ける形で大名、そして藩主となったのであります。歴代当主には、直茂、勝茂、光茂と続いていきます。
この3代に渡り、慈悲深く、人望が厚かったそうです。2代目の直茂が没した時も沢山の家臣が追腹(切腹)を行い、「先代を追うのは、現代に対して無礼」という理由で光茂から「追腹禁止」が出た程。
ちなみに後に幕府からも全国に同禁止令が出されています。
戦国時代から江戸時代にかけて、この武士の死生観が少しずつ変化していきました。
戦国時代では戦で味方の為に死ぬ事、生き延びても、負けたから自害するという機会がありました。
一方江戸時代となると、泰平の世ですから、戦も、負ける事もありません。
追腹も禁止されて、その他何で切腹するのか?
それは「武士の面子を保つ為に法を犯した時」です。
本書ではいくつもの事例が書かれておりました。
喧嘩騒動が多いようです。
武士からしたら喧嘩を売られたのに、返さないと臆病者と罵られ、面子が潰されます。よって藩の面子も潰れて切腹を命じられる事も。
とはいえ、「喧嘩両成敗」というように、仕返しをするのは当然ながら、助太刀をする事、殿中で刀を抜いただけでも違反として切腹させられます。
どうせ死ぬなら、面子は保って死にたいという思想により、後者を取る事が当時美徳とされていたのです。
まさに有名な赤穂事件もその1つ。
さて話を戻して、葉隠の思想を唱えた佐賀藩幹部について触れます。山本常朝という人物です。
彼は3代目の光茂に仕えた人物です。
とにかく家老につくべく、努力したそうです。
家老とは主人に諫言できるポジションであり、奉行を全うするには1番やり甲斐のある立場であるので、志したとか。
しかし、彼のスタンスとしては主君に対して、「全肯定」。主君の気を障らないように努めます。
諫言についても、主君が聞き入れてくれる確証が無いとしないというほどの徹底ぶり。
主君を辱める事も武士道に反すると考えたからです。
隠居している常朝は1つの結論に至りました。
それが「武士道とは死ぬ事」。
冒頭で述べた通りです。
同僚の仇討ちに行くのか、馬鹿にして来た相手に斬りかかるのか、行動の選択に迷った時は「死ぬ確率が高い方を選べ」と言っております。
正しい選択をするのは難しいです。
誤って生き延びたら腰抜け。面目無し。
誤って死んでも恥にはならないというのです。
智恵は行動を妨げるので不要とのこと。
確かにかっこいい思想ですが、生きるための智恵や思考を放棄しているとも言えます。
「死ぬ確率が高い方を選ぶ」なんて
ただの運ゲーですし。
さて長々と書いてしまいました。
「主君の為に死ぬのが美徳」
「面子を保つ為に死ぬのも美徳」
この考え方の根本が武士道であり、その後第二次世界大戦下でも利用されました。
戦時では「お国の為に死ぬ事こそ忠義」とされ、戦争に反対しただけで非国民のレッテルが貼られます。
日本人らしさと上手く思想がマッチングしたのでしょう。
軍幹部にとっては、負けると分かっていても、恐れなしに戦ってくれる国民の力が必要だったのです。
そして、現代では…
極道(ヤクザ)の思想に一致していますよね。
映画でしか見たことありませんが…
本著者の結論としては以下の通り。
「武士道と云は死ぬ事」なんてただの言葉に過ぎない。葉隠を決して我々は評価してはならない。
古くから美化されている事、日本人らしさ等、時には疑ってみるべきだと思いました。
また、「生への執着を捨てる」といった視点では、窮地に立った時でも自分を奮い立たせますし、唯一取り入れられそうな情報でしょうか…。
長年の常識を疑ってみましょう!
