前回は、高野連が定める「日本学生野球憲章」に従い、学生野球、特に高校野球は教育の一環であることを用いて、勝利至上主義を批判した。今回は、前回よりも現実的な例を挙げて、議論を進めたい。

 

まず、今日の学生野球で問題になっていることの1つに野球人口の減少がある。高校野球においては、私立なのか公立なのか、練習環境が十分確保されているか、学校がどれほどスポーツに力を入れているか等によって部員の確保状況に大きく差が出ている現状がある。また、スポーツ推薦の有無によってチームの層の厚さに差が出ることも少なくない。

 

近年は、爆発的な高校野球人気で春夏の甲子園は一種の興行とも言える状況の中、資金や優良選手の情報筋が潤沢な強豪校や甲子園常連校がさらに力をつけ、チーム力の差は益々広がることが予想される。

 

#1で指摘した、サブメンバーの確保は、現実的に考えれば強豪校ないしはある程度実績のある中堅でなければ難しい。このような状況は、他の問題でも起こりうるし、実際に壁に直面しているチームはいくつもある。

 

これは、前回までに挙げた本来の意味での勝利至上主義の前提を崩しかねない。練習環境が十分でないチームは選手の育成をすることは非常に難しく、特定選手を酷使することも当たり前になってしまう。

 

では、以上の問題を乗り越え、旧来の勝利至上主義の風潮が広まるのを防ぐには、一体どうすればいいのか。私は2つの解決策が有効だと考える。

 

1つは、これまでにも述べたように勝利至上主義に一般的なスポーツの解釈を加え、教育的な意味を見出すことである。勝利を目指す過程において、学生野球の教育的な意味が達成されると考えれば、勝利を名目とした非合理的かつ非科学的な采配、トレーニングは行われないだろう。

 

そして、2点目は"アマチュア野球"の裾野を広げ、選択肢を増やすことである。

 

高校野球は、学生野球の1つである以上、「日本学生野球憲章」が定めるように、あくまで教育の一環だということを念頭に活動をしなければいけない。一方、"アマチュア野球"と言えば、学生野球、すなわち部活動としての野球に固執しないため、教育的な意味を見出す必要は無くなる。

 

つまり、大学の野球サークルや地域の草野球チームのような組織が、学校の内外を問わずに広まれば、目標やプロセスはもちろん、周りを気にせず、ある意味"自己中心的"に野球をすることができる。

 

以上に私が期待するのは、どれくらい野球に打ち込みたいかという各々の方向性の違いによって引き起こされるミスマッチを防ぎ、学生野球の視点で言えば、チームの目標設定と活動をより円滑に行うことである。

 

そもそも学生野球における教育を十分に達成するためには、チームや組織等、集団の一定の団結が前提になっていて、その枠組みにおいて、個人の野球に対する考え方や意識に大きな差が生まれることは望ましくない。一方、個性が重視される現代社会において、目標の下の団結を強要することは時代錯誤である。

 

だからこそ、「趣味で野球をやりたい」や「とにかく楽しく野球をやりたい」それから、「ホームランを打ちたい」「140キロのボールを投げたい」など、個人的な目標や夢、意思が優先される組織が必要なのだ。

 

この動きが進めば、野球人口の増加が見込まれ、私が否定した勝利を目指さないことにも合理性が生まれる。

 

#4(最終章)へ続く