先日、息子の小学校(カナダの公立校)で、全校生徒でいく恒例行事の遠足がありました。私はちょうど仕事も学校もないタイミングだったので、息子に引率して同行することができました。
身体にハンデのある息子が、普段クラスメート達とどのように遊んでいるのかを見る良い機会になったのですが、自分より10〜20センチは大きい子供たちと全く同じように遊んでいるのを見て驚きました。
モンキーバーなど物理的に参加できないものからは上手に距離を取りながら、堂々と遊ぶ姿がまぶしくて直視できませんでした。
ちょっとからかったりする子はこの年代ではどこにでもいそうなものですが、去年くらいは結構されるがままなように見えていたものが、今回見かけたのは息子が大きな声で
「Stop that! I DON'T LIKE IT!!」やめて!嫌だよ!
とはっきり言っていたことでした。
また、これは別の日ですが、学校に送っている時に(カナダでは小学校高学年になるまでは親の送迎が必須です)、息子の友だちがフェンスに寄りかかってぼんやりしていました。息子は元気に名指しで挨拶しましたがその子はちょっと不思議な雰囲気の子で、その日も返事をしませんでした。
私は挨拶にこだわりがあるので(笑)、通り過ぎた後に(あの子どうしてお返事しないの?ママちょっと悲しい)と息子にささやきました。すると、
「うん、でもI don't care!(私は気にしないよ)」と息子はさらりと言うのでした。
3歳くらいの時の、友だちと遊ぶのを避けて一人で石や砂を延々とほじっていた息子と同一人物とは思えません。
今思えば、息子は息子のスピードで成長しているだけだったんだなーとつくづく思います。石や砂を延々とほじるのも、その時の息子の身体や心の発達にとっては欠かせないプロセスだったのに、いつも私は息子を変えることで自分の不安をなくそうとしていたなと反省しました。
その自分の態度について、このような無知でごう慢な態度が、親だからと許されて良いのだろうか?と、自分で自分にすごくダメ出しをしてしまいそうになりました。
息子が見せてくれた成長、人としての輝き、強さ、しなやかさ。
いつもいつも、息子は私の魂にガソリンを注いで熱く燃え上がらせてくれる存在だなと思ったのでした。子育て罰という言葉もありますが、私は、自分で自分を振り返って育て直すビッグチャンスをもらえたので、しんどい中にも息子を育てさせてもらえることをご褒美のように感じます。
一方で、最近息子とジャーナリングを一緒にするようになって気がついたのは息子の持つ、人から笑われることへの恐れや不安。寝る時間になったら息子がほとんど気絶するように眠りにつくのも、普段から笑われまいと全力を尽くして頑張っているからなのかなと想像すると、
頑張れ頑張れと背中を押すのではなく、いつでも弱みを見せたり頼ったりできるような存在でい続けられるように私も変わり続けたいと思ったのでした。