カップルが結婚に対して準備ができているかどうかを知る古いドイツの方法があるようです。これは田舎の習慣で、カップルに取っ手が二つついたのこぎりを渡し、それぞれが一方を持ち、親戚一同が周りに立って見守る中で、木の切り株の幹を切ってもらうのである。木をのこぎりで挽くことが二人の課題である。どちらも相手がしていることに関心を持ち、動きを相手の動きと合わさなければならない。この方法は、結婚の適正を見るよいテストである。結論として、愛と結婚の問題は、社会的に適応した人だけが解決できると繰り返しておきたいと思う。大多数のケースの誤りは、共同体感覚を欠いていることに基づいており、これらの誤りは人が変わった時にだけ取り除くことができる。結婚は二人にとっての課題である。実際には、私たちは、一人だけで成し遂げることができる課題か、さもなければ、二十人で成し遂げる仕事に対しては教育を受けているが、二人で行う課題に対しては教育を受けていない。しかし、教育を受けていないとしても、結婚という課題は、二人が自分の性格の誤りを認め、対等の精神で問題に対処していくのであれば、適切に成し遂げることができる。


カスケード現象は事実判断と結びつけて論じられることが多かったが、同様の作用は政治的、法的、そして道徳的な問題領域でもはたらいているはずである。たとえば、以下のような状況を考えてみよう。Aは、積極的差別是正措置は誤りであり、憲法違反だとさえ考えている。Bの考えは、賛成、反対のどちらでもないが、Aの考えに耳を傾けることにした。そして、Cは、積極的差別是正措置にどちらかといえば賛成なのだが、AとBが賛成しないなら、自分の意見を押し通すつもりはない。もしDが、このような状況、すなわち、他の三人が自分とは違う考えを本気で信じている(ようにみえる)状況で、三人とは異なる立場に立つとすれば、Dは、自分の考えの正当性を本気で信じていることになるだろう。人は、さまざまな問題について、何が正しいのか確信をもてないことがある。たとえば、死刑が科されるべきか否か、憲法は中絶を権利として保障しているのかどうか、ごみのポイ捨てや喫煙は誤りなのか等々。たいていの人は、自分自身の考えに確信がもてないとき、身近な人の考えのように感じるものと同様の考え方をするようになるものである。
永続ってなんでしょうか