昨日の体操教室では、いままでとはちょっと毛色を変えて、武術について話した。

 

 武術と言うと、相手を殺傷する技術であると妄想する人が多い。これは間違いである。武術は、自分の身を守る技術であって、その手段は問わないというものである。手段は問わないと言うと、毒物を使うとか他人に命令して殺傷するといった方法を思いつく人がいるかもしれない。しかし、それは大変に一面的な認識であり、人間というものは物体ではないのだから、こちらに衝突しようとやってきたとしても、気が変われば衝突せずに帰って行くのである。自分を殺しに来た人間であっても、その場で友人となることができれば、別に暴力を使う必要はないし、武術の目的である自分の身を守るということは果たされる。これが武術である。

 

 人間は、自分が相手を怖がっていれば相手も自分を怖がるようになり、心理的な共感と言うか共鳴を起こす。これを避けるために、猫をかぶって近づいてきた敵が突然殺意を現したときに即座に押さえつける技能を持っていれば、恐れたり怖がる必要はないので、おっとりした呑気な雰囲気となり、より友人関係が結びやすくなる。このために、高速で動く技能やノウハウがある。それを狭い意味での武術と呼んでいる。

 

 誰でもそんなに早く動くことができるのか?とお思いになられるかもしれない。これは是である。これはこれまでにこの体操教室で脳や中枢神経系の仕組みを説明したが、その際にベンジャミン・リベットの話をした。40年ほど前に、脳の活動電位を調べていたベンジャミン・リベットは、動作が意識されるよりも早く筋肉への収縮信号が発せられていることを発見した。この間、約0.5秒である。0.5秒あれば誰だって1メートル~2メートル移動することができる。現代においては、自己とか意識とか自分というものが行為の発端として位置づけられている。しかし、そうではないと解明されてきており、誰でも早く動くことはできる。自分の意識を媒介としない動作であるからである。

 

 この訓練のノウハウが、狭い意味での武術と呼ばれる。いわゆる武術で言う「後の先」である。それで遅れないか?と思う人がいるかもしれない。斬りかかってくる相手と同じ脳の使い方をすれば遅れる。そうではない脳の使い方をすれば間に合うのである。これがリベットが解明したことである。つまり、武術の練習でなんでこんな変なことを練習するのかと言えば、脳の使い方を合理的なものにする訓練だからである。

 

 それを、殺伐とした世界における「技」として使わなくても、日常生活に生かそうということがこの体操教室の目的である。転倒しても、身体が地面に落下する間に中枢神経系が高速に働いて対処できれば、怪我は軽くて済む。何かが飛来してきても、何とか避けることができる。こうしたことは、脳が信じないことには動作できないため、ニュートンの運動方程式や微分方程式などを使って体操教室で説明し、可能であることを脳に理解していただいた。論理というものは、脳を説得するための手段である。現実や事実を見せても人間の脳は納得しないので、論理が必要な理由である。前頭葉が大きすぎて、妄想が出やすいのが人間の欠点である。これも昨年の体操教室でラマチャンドランの実験などで説明したことである。いわゆる「イリュージョン(錯覚)」である。