戸部良一他著『失敗の本質』(中公文庫、1991年)は、1984年にダイヤモンド社から同名で出た本を文庫化したものである。内容は、旧日本軍が行った戦闘を分析評価したものである。戦争ではないことに注意を要する。たとえば『孫子』という本では戦争全般について論じられているが、この本では「戦闘」にのみ絞って分析されている。だから外交方針の不味さとか、日本の工業生産力などについては論じられていない。戦場で、敵味方が相対し、戦闘を行うにあたっての準備や作戦や諜報や状況変化への適応力などが分析されている。
 さて、唐突にこの本について論じることを止め、重要なことを書いておこうかと思う。
 登山では、下山ルートというものをいくつか常に想定して、何かのトラブルがあった場合に下山が容易にできるように、行きは怖いが帰りは良い良いとなるように計画を立てるそうである。
 このため、下山ルートに安易な道を設定できない登山の場合、かなり慎重に登っていくことになるそうである。
 そういうことで、旧日本軍は、当てが外れた場合にどうするかとか、不慮の事態で苦戦する状況になったらどのようなすべきか事前に対応策を立てていなければならない。これが、この本ではやや弱い所である。そもそも、戦争中の資料のほとんどは終戦時に焼却されており、検討した際にどのような異見が述べられたのかなぜその作戦が採用されたのかなど背景となる情報はほとんどないから、仕方が無いと言えば仕方が無い事である。
 安冨歩教授は、どこでやめてもよかったのになぜかやめようとしなかったと言っていた。安冨歩教授は満州国の専門家だそうである。現在の日本も、どこかでやめた方が良いのにと分かっているが、やめられない状態になっている。たとえば、「安冨教授、女装をやめてください」「嫌です」、これが失敗の本質だろうと思います。
 やりたいことをやって失敗したのなら良いのだが、やりたくないことを嫌々ながらにやって失敗したら、これが責任逃れの「私は、やりたくなかった」「私は、失敗すると分かっていたので、反対していた」という言葉の本質である。
 狂信者と、成功したらその中に自分も混じっていたいという根性の人が、分析が不十分で判断が甘いということで、失敗していく。だから、この本に書かれていることを丹念に読んでいくと、これらすべては最悪の状態に対応するだけの準備をせずに突っ込んでいき、やはり最悪の状態になったので負けた、ということである。運が良ければ、最悪の状態にならずに勝てていたのだから、『失敗の本質』パート2などの続編を誰か書こうとするのなら、旧日本軍の成功した作戦は単に偶然勝っただけであるということを分析した本を出していただきたいものである。