65年前のオルダス・ハクスリーのインタビューフィルムである。ちょっと長いフィルムではあるが、これを見ていくと、小選挙区制と地方分権とを混同させて、ファシズム(全体主義)を完成させたのが現在の日本であると透けて見えてくる。
 裏を返すと、ハクスリー程度のことが分かる人が日本に皆無であったということが言えると思う。
 そして、この映像の最後で、自由が議論されるが、自由がないがゆえに現在の日本の閉塞感が醸し出されていることに気付いている人が皆無なことは、ごく一部の人々が「学者」とか「芸能人」とか「ユーチューバー」として称賛され自由が与えられ、あたかも誰でもそうなれるかのように演出されているからである。だから、自由な側の人間には見えており、不自由な側の人間には何も見えていないのが、現在の日本であると思う。
 見えいていない人間たちに、語り掛けても、何の反応も得られない。つまり、自由の側にいる人間が、多様な選択肢について語る時にそれは自由について語っているのであるから新たな選択肢を「君ならどうするか」ということを意味させているのであるが、自由の無い側の人間は「良い選択肢を提示してくれ、そうすれば僕は自分の意思でベストな物を選ぶから」と、話のレベルが完全に食い違っている。
 時代閉塞の現状という文章を石川啄木が書いたのが約100年前である。この文章は、自由民権運動が潰れた後に、人々が自由を失い、それと引き換えに奴隷の豊かさを手に入れたが、この内面の荒廃はなんなんだという叫びである。
 デモクラシーと自由とは一枚のコインの裏表であり、ソクラテスが毒杯を呷ったのも屈原が汨羅江に沈んだのも同じ理由からであると思う。
 

 

 

 


https://www.youtube.com/watch?v=Ttt12HuBzWQ&t=446s