しばらく前から問題になっていたが、高校の内容を学習しないまま大学に入学する人が増えて来て、大学1年時に高校の内容を教えなければならなくなったということがある。現在では、それなら、高校では何も習っていないとして、なんの予備知識もなくても読む事が出来る大学の教科書を書くべきだという風潮になってきている。

 実際に、米国の大学では、高校で何も教えていないとして、日本の中学校の内容を理解しているという前提の水準から教科書を書いており、逆にそれが分かりやすいという事でここ20年程はそうした本の翻訳がかなり多くなってきている。

 先日来、僕は小学生に圏論を教えるにはどのような工夫が必要であろうか?と思っていろいろ調べてきた。ごっそり削り取ると、残った物は、ペアノの公理系によって自然数論を作り、位取り記数法を教え、足し算と掛け算を数表によって教え、次に、これらの方法でいかなる大きな数も表記でき計算できることを示すというのが、第一段階である。
 ギフテッドチルドレンのための数学を考えていたので、ギフテッドチルドレン(高知能の子供)が最も気にするのが、この方法論で全ての数を表記したり計算できるだろうか?という疑問があることを前提として、道具としての完全性を先ず示そうとしたわけである。ギフテッド(高知能の子供)でなければ、そんなことは考えないのであるが、これはギフテッドのとって重要な事である。数学者も、この完全性という概念を確立するために200年ほどかけて思想を精緻化してきた。ここを教えないと、数学を教えたことにならない。完全性や完備性という概念は、高校でも十分に教えていないので、高校までの微積分は粗雑過ぎて使えないということで、現在の高校教育は全て捨てても惜しくない内容である。

 そうして、ずいぶん、現在の小中高で教えている事と、大学の教育を理解するために必要な事は、かなり食い違ってきているのが、現在である。
 いっそのこと、小中高は何を教えても良い事にして、大学は知識ゼロであっても読む事の出来る教科書を作ってそれを使うのが良いのではないかと思う。

 ギフテッドチルドレンのための数学は、完全性が証明できたところで、次は、指数関数や対数関数の概念を出して、加算と乗算の間に同型写像が存在することを示す。
 ここまで説明すると、数学とは、ある問題が難しい場合、他の事に変換してみて、そこで解いてみて、その答えを元の問題ではどのような概念になるのか、戻してあげるという思考であることを、露骨に示すことができる。