人形の素体を買いに行った。うちの近所にこんな淫靡な空間があるとは、、、と思った。
 人形が、顔を描かれて衣装を纏っていれば、それなりに人形であるが、胴体が並んでおり、首だけが並んでおり、腕だけとか、足だけとか、身体がバラバラの状態で大量にストックされている部屋は、やはり「アトリエ」と呼べるような場所であった。

 私が、欲しいと言うと、「男の子ですか?、女の子ですか?」と聞かれ、ほとんど人身売買の世界であった。
 人身売買があった時代は、元気な男の子と言って買うのであろうなと思った。『赤毛のアン』という小説の冒頭では、男の子を注文したのに女の子が届いたということで、ちょっとしたトラブルになる話が載っている。僕は「男の子」と言ったが、そこで、店員が間違えて女の子を渡したら、「これは使いものにならない」と苦情を言うだろう。『赤毛のアン』と同じである。

 昔、四谷シモンの人形展を見に行ったことがある。内臓の部分に歯車などの機械を埋め込んでおり、『コッペリア』とか『砂男』の世界であった。最近、ジャニー喜多川氏の犯罪が暴かれているが、せっかく人形を所有するのなら等身大の人形が良いと思うように、人形のような少年を手元に置いて愛でるのも分からないでもない気がする。おそらく、ジャニーズ事務所の少年たちは、人形のように何もせず何も言わずにそこに置かれているだけという、まさに人形の扱いを受けていたのであろうと思う。性犯罪よりもこちらの方が深刻な背徳であるが、今の人にはその感覚が分からないかもしれない。
 おぞましい気がする。

 ともかく、1970年の日本の淫靡な空間は、こうした人々によって今なお日本の片隅で生き続けているという感触を得た。