すっかり「もう情報発信はツイッターだわ」ってなって放置になってしまったココ、
さて、いよいよ!そろそろ!こっそり更新してみるかい?(何年越しだよ…)
まあ140文字じゃ語れないことも色々あるしね。
話せば長くなる話は色々あるけど、長くなるからツイッターだと諦めちゃうのよな。
なのでこっそりここに(ただしごくたまに)書き綴る文化でも形成してみようか。
こっそりなので、ここを発見しても広めてくれなくてよろしくてよ。
いやでも、やっぱそんなに更新はしない気もする。
話せば長くなる話は、話すこと自体面倒臭いしね。時間かかるし。
だからやっぱり、ここを発見しても広めてくれなくてよろしくてよ。
まあいっかい、やってみよう。
ではまず、何をテーマにしようか。と考えてみた。
とりあえず人々に関心を持たれがちな「歌詞」関連のテーマで話をしてみようか。
と考えてみた。どうだろう。どうだろうってもう書いちゃうんだけど。
うん、歌詞、ってテーマだと色々話のネタがありそうだものね!ウチの場合は特に。
このバンドは長年「生活密着型ラウドロック」というジャンルを名乗ってるわけで
歌のテーマも過剰に生活感が溢れまくっているのは、もう皆さん多分ご存知の通り。
日頃思う、飯だ風呂だ寝るだ労働だ、そんな話ばっかしてるよ。なんだこのバンド。
ゆえに、よく聞かれるんだ。
「なんでそんな歌詞になったんですか」と。
そして、よく聞かれるんだ。
「恋愛ソングは作らないんですか」と。
むしろもっと強く言われるんだ。
「なんで恋愛ソングは作らないんですか」と。
そう!恋愛ソングって件について。今回、これについて語ってみよう。
さあ、ではまずぶっちゃけよう。俺の本音を。
「恋愛ソングやる気しねぇー」
さあ、ぶっちゃけよう。
だいたいテレビや雑誌でインタビューでは、以下のテンプレで答えているんだ。
「そのうち燃えるような大恋愛をしたら書くかもしれませんね」
すまん
あれは嘘だ。
本音を言おう
今後も全然、作る気が無い。
いやだってね。
皆さんご存知無いのだろうか、大概ロックミュージックになんて走っちゃう奴は
大の天邪鬼揃いなのでございますよ。
そして、見るからにすでに人と違うことをしている奴なら、ほぼ間違いない。
そいつは筋金入りの天邪鬼に決まっているのですよ。
そんな天邪鬼に向かってだ。
「皆そうしてる、なのに君はなんでしないのか」なんて言ったら、どうだ。
そいつは断固として「うるせえ、絶対やらねえ」ってなるに決まってるじゃないか!
いや「うるせえ」とまでは思ってないが、いやちょっとは思ってなくもないが、
まあ「他所がたくさんやってるんだからそっち聞いてくださいよ」くらいは思ってるが、
ひとまず、そもそも。異論があるんだ。
この「歌を作るなら恋愛ソングたるべき」のような文化は。おかしいと思うんだ!
さあ、いったん話を飛ばそう。
そもそもだ。そもそも恋愛ソングとは、いつから音楽の主要なコンテンツとなったのか?
ここから考えてみよう。
音楽の歴史の、最初からだったのか?途中からだったのか?
可能な範囲で、歴史を遡り、そして想像してみよう。イマジン。
すると、数十年位はすぐ見える。ビートルズくらいの時代まではイメージが湧きやすい。
ビートルズ、うん、恋愛ソングたくさん歌ってる。ラブミードゥでユーノーアイラビュだ。
まあ、そればっかりじゃないけど。主要なところに、恋愛ソングはたしかに多々ある。
このへんはOKだ。
ではさらに、時代を遡ってみよう。あんま知ってる音楽無くなってくるけど…
でも知ってる範囲で遡ってみる…
するとどうだろう。
途中で「あれ?」ってなってしまわないだろうか。
ジャズ全盛期…さらにクラシック…?ん、そう、ここではもうパッタリ無くなるんだ。
恋愛ソングが?いやそれどころじゃなく、そもそも「歌」が無くなる。
モーツァルトのあの曲、ベートーベンのあの曲。シューベルトのあの曲。
歌ってない。楽器だけの曲ばっかりだ。
クラシックの有名曲なんて、ほとんどオーケストラやらピアノやら弦楽四重奏やらだ。
この時代の人は、ヴォーカル曲は好まなかったのか?いや、そういう話ではないだろう。
こうなるのが当然だったんだ。
いや長きに渡る音楽の歴史において、むしろ現代が異常と言っても良いかもしれない。
だってそうだよ。
全力で叩いている打楽器やらの前で、ひと1人の歌声が「聞こえてくる」という事自体、
本来はあり得ないんだもの。
そう、根本的なところに立ち返ってみよう。
大音量を鳴らす楽器隊に対してヴォーカル1人、その声が聞こえる。本来あり得ない。
あらためて考えてみると、そうなんだ。それが当然なんだ。
そもそも人の声は、大抵の楽器に比べて大きな音量は出ない。合奏となるともっとだ。
現代、それでもそれを可能としているのは、言うまでもない。科学の力に他ならない。
マイクがあり、アンプがあり、スピーカーがあるから、現代はそれが可能なのであり、
そんな芸当が現実的に可能となったのは、実はたかだかここ百年余りにすぎない。
うん、百年。ちょうど最初のラジオが始まったのが百年くらい前、であってたかな。
ジャズと言えるジャンルが生まれてまだぼちぼち。そのくらいの時代。
クラシックと呼ばれる音楽だけで数百年の歴史がある「音楽」文化の、ほんの百年だけ。
そう考えると全然、最近の話。
もちろんそれ以前に、歌唱という文化は当然あったし歴史にも数々残っているけども。
しかし「楽器に勝る音量」を確保するために取れた手段は、主に「合唱」であったり、
それとは別に発声の超人を集めて~のオペラのような方向性もあったりしたわけだけど、
どうあれ「好き放題、思う存分できた」とは言い難い。いかんせん方法は限られていた。
まあ民謡や童謡のような形もあるし、伴奏ピアノだけの独唱とかも成り立ったろうけど、
大勢の人に伝えられるか?というと、録音も無い時代にそれは別のハードルがあろう。
大きな会場、多くの客、要するに大きく「音楽界」としてヴォーカル曲が成立するには
いずれにしても大掛かりにならざるを得ず、大勢の人、あるいは金・組織が必要だった。
…という時代背景が想像できる。
という仮定で、想像してみよう。
そんな大掛かりな話になって「皆で歌うぞ」ということになった歌で、どんな事を歌えるか?
多くの人、大きな組織、あるいは貴族、が異存なく同調して動けるテーマ。それは何だろう。
まず「国を讃えよ」「神を崇めよ」国家や宗教がやりやすかったであろう事は想像に難くない。
「みんなで歌おう」にとりあえず大勢の同意を得やすいのは、まずそのへんだろう。
そこに「ある若者が思春期に恋に~」みたいなテーマはなかなかハードルが高かろうと思う。
そりゃ需要はありそうだが、一流作家の書く歌劇でもなければ難しかったのではないだろうか。
よりパーソナルなテーマで歌を作って世に出すなんて、とんでもないハードルの高さだったろう。
という昔の話は、検証的には全然掘り下げられてないので、全然想像の域ではあるけども。
しかし実際「当時の代表曲」として挙げられる物はほとんどが楽器のみの楽曲である。
古今東西、常に恋愛ソングが音楽の中心にいたわけではない、くらいの事は言えると思う。
そして「大きな金や組織が動く」背景は、科学が発展してきた時代でもすぐには変わらない。
たとえマイクやスピーカーが発明されて「大勢じゃなくても歌える」ようになっても、だ。
即「じゃあ俺の今の思いを音源にして出すわ」という気軽な話には当然できなかった。
というのも、なんせ今より全然金がかかるものだったんだ、昔のレコーディングは。
今では数十万円の機材でできる事を、昔は数億かけて作った環境じゃないとできなかった。
歌ひとつ世に出すのも、いちいち大きなプロジェクトにならざるを得なかったろう。
そりゃもう、作曲家の大先生、作詞家の大先生、随時揃いも揃えて総力戦も当然なわけだ。
やっぱり「大勢の同意」が無いと世に出せない、という背景はしばらくあっただろう。
しばし模範的、文化的な作品が多かったのは当然のことだ。
古く音源として残っている楽曲は、やはり芸術面に練りこまれた作品が多く見られる。
だからこそ。
「盗んだバイクで走り出す」なんて歌が世に出た時は、センセーショナルだったんだろう。
そうした若者の叫びが許されるまでに、だんだん歌を世に出すハードルは下がっていった。
科学の発展は、世の歌の「無難」な歌詞の壁を徐々に壊してくれたわけだ。
大勢の同意を得る必要のない「個」を発信できる時代がやってきたのだ。やったぜ。
さあ、そろそろ話を戻そう。
世の中、歌を世に出すことが徐々に「大規模なプロジェクト」ではなくなってきた。
歌詞に個人的な言葉を乗せやすくなってきた。
おかげさまで、米が美味いだの、布団から出たくないだの歌って世に出せてる人がいる。
このような歌詞の歌が世に出るのは、この科学が進んだ時代だからこそなんだー
ありがたいことだ。
が、だ。だのになぜ。
なぜそんな自由な世になったのに、揃いも揃って恋愛ソングばっかり歌う風潮になるのか。
なぜ多様性が許されたのに、あえて大勢で一方向に向かっているのだ。
それはそれでまた別の問題に起因している、と俺は考えている。
単刀直入に言うと
若者に媚びすぎだと思うんだ。
世間の流行が「若者が動かしている」という価値観になってどのくらい経つのだろう。
今ではだいぶ和らいできた感はあるにせよ、それでも日本人の「若者」崇拝の風潮は
未だなかなかのモンだよなと思うよ俺は。
漫画でもゲームでも、世界を救う主人公の設定はだいたい18歳まで、高校生以下の子供。
大人は何をやってるんだ、ってくらい数多の作品で若者達が大変な苦労をしてらっしゃる。
もしアイアンマンがこの国生まれだったら、中の人もおっさんではなく高校生だったと思うし
007もインディジョーンズも高校生の設定になっていたんじゃないだろうか。
音楽界も、やはり今はだいぶ和らいだのだが、少し前までは「デビューは20代まで」という
変な空気感があった。25までにデビューしなかったら音楽やめる、みたいな同年代も多々。
まあふざけた話でね、仮にも鍛錬を必要とする文化が20歳そこそこで完成形に至るものかと。
芸術ってそんな若くして大成するもんか?と俺は若い頃からおっさんのように憤慨していた。
(と言っても、時々至ってしまう「天才」というやつも存在してしまうんだけど)
「若さ」を尊ぶあまり、どうもおかしな文化も形成してしまったように感じる。
その無理のおかげでその頃の音楽界も「嘘」に満たされていた。よくない事だったと思う。
ちょっと話が逸れたけど、要はこの国「若者」に執着しすぎかと思う。
べつにいい大人が若者に向けて歌を作ることはなんら悪くないとは思うし、
もう若者に負けないくらいベッタベタのピュアな恋愛をしたって一向に構わないと思うが、
さもそれがスタンダード、それが当然、という風潮に巻き込まれるのはとても気持ち悪い。
おっさんもおっさんなりの日常と感情があり、それが若者と異なっても当然なのだから。
あげく、世の中の結果を見て今度は「大人になると音楽を聴かなくなる」なんて言われる。
そりゃ若者向けの歌しか蔓延してなかったらそうなるだろうよ、と俺は思うわけだが。
それもだんだん変わってきた。大人が大人に向けた歌を作るシーンも成り立ち始めて久しい。
ライブハウスに「戻る」大人も、さらに「行き始める」大人も増えてきた。
とても自然で健全な流れだと思う。
今まで大人の居場所を奪っていたのは、若者に媚びる大人だった、と俺は思っている。
話が逸れて戻っては逸れるね。
というわけで、俺は「恋愛ソングを作るのが普通」という価値観自体がおかしいと思うので、
そんな風潮に従う気は毛頭ないというわけだ。若者の話は若者同士でやっていただきたい。
それより今は新しく買った炊飯器で炊ける米があまりに美味しいので米の歌を作りたい。
(もうある)
まあ気ままに生きているので、来年再来年にあっさり前言撤回しないとも言い切れないが。
天邪鬼は期待されるほどやる気無くすので、やってほしい人は言わない方が多分いいと思うよ。
というわけで、今回の話はそろそろかな!歌詞についてはまあ、他にも色々あるけども。
そもそも歌詞を重要視していない、声も楽器のひとつだと思っている~みたいな話も
あちこちインタビューで言ってるし。でもまた長くなるので、それはまた別の機会に。
次に書くタイミングあったら~CDとサブスクについて、というテーマとかいいかな。
それか「ある日、友達が突然逮捕されたら」というテーm(やめなさい)
ではまた。