週2・3回のジムと毎日の体重測定は続けているものの、

依然として 体重が減らない UCHIKOです


間食もあまりしないようにしてるけども・・・。(実はときどきケーキなども食べている

まぁ、体重も増えていはいないし・・・・と自分についつい甘くなる・・・ダメ子です(苦笑)



しかし本日衝撃が・・・!!

釈由美子さんのブログ「余裕しゃくしゃく」で

あのクビレを見てしまったのです

う・・・羨ましい・・・・

私もあんなお腹になってみたい



「千里の道も一歩から」と自分に言い聞かせ
まずは毎日自分のウエストを計測してみよう!とおもったUCHIKO。





え・・・えーと・・・・・




ウエストってどこ?

(ちゅどーん
 

そうです。とても残念なことに、計測の目安になるクビレが見当たらなかったのでございます




よもやここまでとは・・・


仕方がないので、とりあえず今日はなんとなくの位置で計測。

自分への戒めとはなったものの、道のりの長さを感じずにはいられませんでした

が・・・ガンバロ




黄色い花キャベツ塩焼き鳥
黄色い花もやしと豆苗のナムル
黄色い花納豆
黄色い花白飯

今日は暖かかったですね音譜
いよいよ花粉がきついですが春らしくなってきましたね
春の野菜が食べたくて  柔らかいキャベツをいただきましたニコニコ



Android携帯からの投稿
1年前の3月11日。覚えておきたい私の記録です。


一年前の今日、あのとき、私は夜勤明けで部屋でうつらうつらと横になっていました。穏やかな晴れの午後、突然の突き上げるような激しい揺れと緊急地震速報のアラーム音が響き、生まれて初めて「死ぬかもしれない」と命の危険を感じた瞬間でした。
立て続けに2回3回と続く余震で電化製品や家具が倒れてやっと我に返り、靴を履いて家の外に飛び出しました。アパートの前の駐車場には同じく非難した人たちと、送迎バスで帰ってくるはずのわが子を心配そうに待つ母親たちが集まっていました。既に携帯電話もテレビも動かず、誰かが車のラジオをつけて地震の状況を知ることができました。
電話回線が混雑していて家族に連絡はつかず、ドアに「病院へ行く」と張り紙をして、なぜか数枚の毛布と布団を車に積んで、勤め先の病院に向かいました。
とっさの判断でしたが、恐らく一人で家にはいられなかったかもしれません。

道路は停電のため信号がつきませんでしたが昼間だったため4車線の道路を互いに車の窓を開けて、対向車とコンタクトを取りながらそろそろと病院へ向かいました。
私の勤めていた病院は半分だけ新しい免震棟のため患者を新棟に移しているところでした。それでも患者を移すことのできないICUとOPE室では患者のそばにスタッフがついて室内の危険な場所からなるべく離して対応していました。激しい揺れで人が横になれば200kg近くにもなるベッドが動き、人工呼吸器が落ちそうになったと紐で何重にも固定してありました。同僚は急患の対応に走り回って対応していました。あの余震の中、緊急のオペも行わなければなりませんでした。電気は非常用電源に切り替わって復旧していましたが、エレベーターは使えず、患者は車椅子ごと階段を担いで移動したと聞きました。慌しく病院で自分のできることをしようと、興奮して動いていたため、比較的気持ちは落ち着いていたと思います。

夜8時を回ったころ病院を出てはじめて真っ暗な街を目にして改めて恐怖を感じました。
交差点には警察官が非常灯を持って交通整理をして、電気のついていない真っ暗なコンビニの公衆電話の前に行列ができていました。
家には着いたものの何もかもまっくらで足がすくみました。余震が怖かったからか隣の家の奥さんは車の中でキャンドルを炊いて旦那さんの帰りを待っていました。

まだ携帯電話が使えない状況で旦那ちゃんとは連絡がつかなかったものの旦那ちゃんの勤め先の病院の被害状況を把握することができていたため大丈夫だろうと判断し、実家の状況を知るために私もコンビニの公衆電話に並びました。
実家は家族も建物も無事でライフラインも数時間で復帰したときき、安堵。

辺りを見回すと街の北側が明るいことに気付き車で電気のついているコンビニに向かいました。
コンビニには人があふれ、食料品や電池、充電器の棚は、もうからっぽでした。車のガソリンはまだ十分にありましたがこれからが不安でエンジンを切り毛布に包まりました。余震が来るたびに電信柱が揺れるのがみえました。

1時間ほどそうしていたでしょうか。ふいに携帯電話が鳴りました。慌てて出ると旦那ちゃんでした。「どこにいるの、かえっておいで」といわれ家に着くと、暗闇の中でソファーに座りおでんを食べている旦那ちゃんがいました。のんびりと「半分食べる?温かいよ」という旦那ちゃんに、とてもホッとして泣きながら「死ぬかと思った」「もう会えないかもと思った」と怒鳴りつけてしまいました。「大げさだ」と笑われながら、携帯電話も普通にかけられたという旦那ちゃんの強運と動じない様子に少し頼もしさを感じました。

明るいうちに割れ物を片付けておかなかったため家の中は惨憺たる有様でしたが、懐中電灯を頼りに荷物をまとめその日は車で40分ほどの実家に非難しました。

実家について初めてTVでみた、津波と火災、原発の状況・・・。
とても現実とは思えなかった、思いたくなかった。
見覚えのある八戸の港が川のような濁流にのまれ、松林をこえる大きな波が迫り、逃げろと叫ぶ人の姿、津波のあと燃える街、制御の利かなくなった原発・・。
あの衝撃をきっと忘れることはないだろうと思います。

翌日の昼過ぎにはアパートの電気とガス、水道とライフラインすべてが復活したように思えましたが、水道は再び夕方には出なくなりました。水道が復旧したのは5日後でした。周りの病院もほとんど機能することができない中、私の勤め先は被災の割合が少なかったため受け入れ病院として機能することができました。スーパーやコンビニの食べ物と水がなくなり、ガソリンが売り切れ、繰り返される余震、放射性物質の情報に恐怖し、職場で顔を洗う、不便や不安はあっても、自分は自分のできることをする、支えてくれる人がいる、さらに辛い状況の中で踏ん張っている人がいるということが心の支えとなりました。

自分が生きるということを強く意識し、大切な人が生きているということをこんなにも感謝できるようになったのはあの震災を経験してからのことです。

今も行方の分からない方、避難所で生活する方がいる。この1年をどのような思いで過ごしたのか。

1年は節目として、これからも必要な被災者支援について考え、自分にできることを考えて、そして動いていかなければと思います。胸を張っていきていけるように。大切な人を守りたい。今ある感謝を伝えたい。

被災されたすべての方に哀悼の意を、なくなられた方のご冥福をお祈りいたします。







手抜きですいません(笑)どーしても食べたかったのでwww
今夜は
春野菜と鳥ささみのやきそば
  野菜はたっぷりササミはしっとりしあがるように、
  薄く削ぎ切りして片栗粉をまぶして茹で
  焼きそばの最後にさっと炒め合わせるだけにしてます
 和風サラダ



それから今日はお茶の時間にこちらをいただきました
ねんりん家さんの「桜の国のマウントバーム」
(季節限定品です^^)

外側がお砂糖でサクサクほのかに桜の香りがして美味しい~

こういう食べ物は春が来た感じがしますね
お土産にもオススメです^^


Android携帯からの投稿


黄色い花鳥ささみのほうれん草とモツァレラチーズのはさみ焼き
黄色い花焼き野菜 おくら
黄色い花ミックスビーンのトマトソース煮込み
黄色い花サラダ
黄色い花白飯

今日はモツァレラチーズのスライスチーズを発見して衝動買い(笑)
美味しかったので今度はゴーダチーズも買ってみよっとラブラブ



Android携帯からの投稿