*本件記事は、2021/03/15付け別ブログに掲載した記事を転載しています。
以下の記事は地歴を基に根拠としていますが、あくまでも個人による憶測に過ぎませんので、誤った内容がございましたら、ご指摘頂けましたら幸いです。
さて、表題についてですが、中仙道は熊谷方面に吹上駅を過ぎた直後、地図の通り「吹上本町」交差点にて直角に左折しています。
旧中仙道ルートを青線にて表示
左折後の旧中仙道
直角に曲がるのは不自然過ぎると疑問を抱いていましたが、「元荒川の旧流路が関係しているのでは?」と仮定し、以下の通り調べてみました。
江戸時代の元荒川は、荒川の本流として現在よりも流量が多いだけでなく、その流路はかなりの蛇行を繰り返しており、旧吹上町内に於いても蛇行箇所が数多く存在していました。
先ず、国土地理院の「明治期低湿地データ」を確認します。
上図では、直角に左折する数十メートル先に元荒川の蛇行した旧流路が表示されています。
このデータは、他の箇所に於いて若干の表示ズレが生じていたこともあり、実際にはもっと中仙道直進ルートから入り込んでいる可能性もある為、過去の空撮画像も確認してみました。
二つの年代とも、赤枠内に元荒川の蛇行した先端部分らしきものが、中仙道の直進ルートを超えている(以下「蛇行箇所」という)のが分かります。
現在の空撮でも隣地境界が蛇行箇所として緩やかな弧を描いているのが分かります。
グレーの屋根が、現在は使用されていない「吹上商工会館」、その右隣の赤い屋根が「第13消防分団」の建物です。
上記空撮及び、現地画像の通り、蛇行箇所は隣地境界に対して緩やかな弧を描き、更に蛇行箇所は周辺地盤面よりかなり下がっています。
これは蛇行した元荒川の旧流路部分における地盤面の状態を当時のまま維持しているものと判断できます。