*此方の記事は、2021/03/15付け別サイトで掲載した記事を転載しています。



さいたま市見沼区の丸ヶ崎橋以降が一級河川の扱いになっており、現在における水量の殆どは、綾瀬川もしくは見沼代用水から田んぼへ引き込んだ農業用水の排水路となっています。


このローカルな河川は殆ど認知されていないと思いますが、幼少時の記憶を基に記していきたいと思います。


水源

水源地は大宮台地の一画に属しますが、低地部分の地表面から僅かに滲み出た地下水が集大成となり湿地帯を形成していました。






地図と過去の空撮を比較しながら確認すると分かりやすいかと思います。

この空撮画像の撮影時期は、区画整理の進捗状況から1975年前後かと思われます。


■水源について


水源①

空撮で森が写っている部分から、地下水が滲み出ていました。

冬季は完全に枯渇していましたが、記憶では4〜5月頃からの雨水によって地下水位が上昇し、地表から滲み出た地下水が極僅かな流れを形成していました。

隣接した畑は水捌けが悪く、畝の底に水が溜まるほどの状況です。

地図の水源②からの流れと合流する「現在のヤオコー」付近までの間に小さな沼が2箇所ほどありました。


水源②(島町地蔵公園付近)

この部分は畑でしたが低地にある為、乾季以外は常に軟弱地盤で小さな溝から地下水が滲み出ていました。

現在の島町児童公園


余談になりますが、この②の付近の薬王寺を境に反対側(東武野田線「七里」駅方向)にも流れが生じています。


水源③

この場所は未確認なので割愛しますが、かつて湿地帯であった部分にライオンズマンション(地図のヤオコー南側)を建築中、余りの軟弱地盤によってダンプカーが沈んだ事がありました。


■現在の流路①

ヤオコー前の南東から北西への通りが暗渠


かつて、水源①と②が合流した周囲は、区画整理にて道路1本(空撮でも分かりますが、上記ヤオコー前の道路の一部)を通した両側に水深2030cm 程度の沼が幾つも形成されていました。

その後に水源③と合流していたのですが、ゲリラ豪雨の際は地図で芝浦工大「クラブハウス」と表示している付近の水位が上がり、頻繁に道路が冠水していました。

その影響による治水として流路の幅員が拡張され、コンクリート製の水路となりました。


その後の流路は、芝浦工大に沿って地図④部分で見沼代用水に合流して流れは終わっていました。



現在の水門部分がかつての合流部分

上記画像の反対(川上)部分、伏越の起点


見沼代用水が灌漑事業化される以前は、地図上「芝浦工大グランド」と表記された湿地帯部分へ流れていたと思われます。


■現在の流路②

伏越の終点部分


見沼代用水を伏せ越した後、掘り下げた部分(当時の流路を拡張し掘り下げた)から開渠として再び流れ、井川歩道橋付近でプロムナード側からの流れと合流、アーバンみらい東大宮の東側、卸町工業団地などを経て、綾瀬川へと合流していきます。