最近、荒川の瀬替えに興味を持ち、色々サイトを観ている際に、表題の「荒川の流路は、寛永6年の瀬替え以前に和田吉野川へ流れ込んでいた説」という記事を見掛けました。


その数日前に空撮画像を観ていた際、旧荒川(現在の元荒川)が大きく流路変更した痕跡を見つけ、「これは凄い!」と思っていた場所が、正にその説の場所であると断定しました。(この内容が「凄い!」と思う時点で、完全にオタク化していますね!😆)

その旧流路跡は、ナスカの地上絵の様に次の空撮画像に描かれています。



その旧流路は、「鴻巣市袋」にあるロピアを起点として大きくS字に蛇行し、「鴻巣市小谷」で瀬替え前の和田吉野川(現荒川)へと流れ込んでいた形跡が明確に残されています。



これは、後に確認した国土地理院の「治水地形分類図」にも旧河川ルートがあった事を示しています。



この場所が旧流路であった時期は、いつ頃だったのかは分かりませんが、少なくとも江戸時代以前の中世紀であったことは間違いのないことです。

暴れ河であった旧荒川のみならず、旧利根川を含め、関東平野の中流域では豪雨の度に流路が変わっていたとされています。
此処も当時の流路によって自然堤防が構築され、そこに人々が居住して集落が形成した後に流路が変わり、その河川跡地が新田開発されたのでしょう。
若しくは、人為的に此処で瀬替えが行われていた可能性は?とも思いましたが、人為的な付け替えであれば、態々S字に蛇行させる必要はないので、この形跡は河川氾濫などで自然が作り上げた芸術なのでしょう。
その様に当時の事を色々想像すると楽しく思えます。

この鴻巣市など都市化が進んでいない地域は、現代に於いても空撮画像で明確に地歴が読み取れるので、河川流路歴史の観点では、とても貴重な地域だと思います。