はっちゃんへのあたたかいお言葉、ありがとうございました。
いただいたコメントへのお返事が遅くなってごめんなさい。
先ほど、お返事させていただきました。
はっちゃんが虹の橋を渡ってちょうど2週間。
何度かお返事を書こうとしたのですがどうも指が動かず。
今日まで伸びてしまいました。
ごめんなさい。
11月10日ころからまた体調を崩していたのですが、
またいつものようにのらりくらりと復活できるだろうと思っていました。
実際、13日の夜にはいつもと変わらないくらいになっていたのですよ。
13日の夜に撮った写真。重篤には見えません。
そのまま14日、15日と過ごしていって。
吐気が出たので吐気止めを注射してもらいに行って。
吐くと呼吸が荒くなり、
酸素をうまく吸収できないはっちゃんの身体には負担がかかります。
病院嫌いのはっちゃんだけれど、
吐気止めを打ったほうがベターとの選択でした。
そして16日。
私は午前9時から資格試験のため外出。
2時間の予定でしたが猛スピードで解答をして1時間ほどで帰宅。
帰ったらはっちゃんは見たことのないほどぐったりしていました。
慌てて病院へ。
、
獣医師の見解では点滴を打っても楽にはならないとのことで、
メリットのない痛い思いをする必要もないと覚悟を決めました。
ただ、気持ち悪いとしんどいので吐気止めを打って。
もう長くない命だと分かっていました。
明るい記事は書けないなとブログをお休みする宣言をしたのが16日の15時すぎ。
はっちゃんはもうぐったりしていて。
なぜかハコにゃんがはっちゃんいべったりで無理矢理添い寝をしてくれました。
ハコにゃんをはっちゃんから離しても離してもまた、
ハコにゃんははっちゃんの傍に行くので、二匹一緒にしていました。
昼間は日当たりのよいところに寝かせて、
夕方からはカーペットの上に移動して寝かせました。
たまに無理矢理立ち上がり、お水を自分で飲むはっちゃん。
でもちょっと歩いただけで酸素が足りず苦しむはっちゃん。
何もできず、見守る私たち。
触れるとはっちゃんの気が立ってさらに呼吸が苦しくなるので、
ぜぇぜぇ言っているはっちゃんに何もしてあげることができませんでした。
落ち着いてきたところでやっと触れられる。
ゆっくり撫でて。
少しでも呼吸が楽なように胸を開かせて。
開いてもしんどくないように手で支えて。
そして21時10分頃。
また無理矢理お水を自分で飲みにいきました。
案の定、酸素が回らなくなって苦しみ始めて。
おろおろするしかない私。
のたうち回ってコタツの中に飛び込んだはっちゃん。
気が立ってはいけないと触れられず遠巻きに見ていた私。
でもその時はもうはっちゃんの息は止まっていました。
酸素を求めて求めて、のたうち回ったんだと思います。
苦しかっただろうな。
誰もがいずれは通る道。
早いか遅いかの違いでしかない。
これが老衰だったら苦しいながらももう少し穏やかに逝けたかもしれません。
貧血のせいで酸素がなくて苦しいだけのはっちゃんは、
気力も目力も心もしっかりしていました。
苦しかっただろうな…。
でも、しばらく経って。
はっちゃんが最期にのたうちまわったのは、
まだまだ生きようとしてくれていたからじゃないのかな…と思えてきました。
最後まで諦めなかったんだって。
本当のところは当猫にしかわかりません。
翌日、はっちゃんを埋葬する時。
ハクぼん、ハコにゃん、ハンさんが玄関まで見送りにきました。
ハコにゃんは特にはっちゃんの毛に鼻をこすり付けて、
何もわかってないように見えました。
でも、ちゃんとはっちゃんが死んだとわかっていると思います。
はっちゃんへのお別れの言葉は、「ありがとう。」
そして、「また戻っておいで。」
昨年の9月にハクぼんの遊び相手として来てもらって1年2ヶ月。
うち半分は闘病生活だったけれど、
いろんなことを与えてくれました。
ありがとう、はっちゃん。
4月に18歳で見送った破邪姐さんと会っているかな…。
ありがとね、はっちゃん。