「ある」はずのものが見えないから

それはてっきり「ない」ものだと

ずっと勘違いしてしまった時期がありましてね。



勘違い中は



◆大事な人から自分はホントに大事にされてるのか?

◆世間体の為だけに飼い殺されてるのでは?



なんて思ってましたよ。


まあ、それだけの体験をがっつりと
させてもらった結果でもありますがガクリ

旦那さんは
よその女性とお揃いのネックレスを嫁に贈ったら嫁が誤解するとか
他人を交えた記念日旅行を決行するのが嫁的に好ましくないという事実を
全く知らずに生きていました。
ええ、コレまじな話です(´д`|||)




そんなときにでも

ぽろりと、思い込みを解いてくれたのが

こちらの詩。



☆~☆~☆~☆~☆~☆~


 星とたんぽぽ   
             金子みすず

青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星は目にみえぬ。

 見えぬけれどもあるんだよ、
 見えぬものでもあるんだよ。

ちってすがれたたんぽぼの、
かわらのすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は目にみえぬ。

 見えぬけれどもあるんだよ、
 見えぬものでもあるんだよ。


☆~☆~☆~☆~☆~☆~


微かな光をかき消していたのは

わたしなのか?

芽も出せぬほど厳しい北風を浴びせたのは

わたしなのか?



そんな事も思いたく無いくらい

こてんぱんに打ちのめされてきたけど

見つけようとしたらそこにちゃんと

愛はあったんです。





だって私、それが欲しかったんだもの。




どうしたら見えるのか

どうしたら芽がでるのか。

私が良しとする方法とは違っていて

かなりかけ離れた事をすることになりましたが

そこを曲げてみることで

わかることが沢山ありました。




わかったら

色々考えずに愛は「ある」ものとして

自分の主張をしたり相手の話を

素直に聞くことができるようになったかな。




自分の思う通りとは違うことをするのを

ずっと続ける訳にはいかないけど

たまにはやってみたらいいと思う(^_^)





内野さんちは

手加減シーズンがそろそろ終わり。

今度は私の思う通りに動くわよ(* ´ 艸 ` *)