泣くか寝るかが仕事なくせに

吸引力だけは半端ない

小さくてふにゃふにゃの生き物を産んだのが

ことしの2月。




ガタガタな身体を引きずって退院し、

時間やら日にちの感覚が狂ったまま

迎えたお宮参り。




あっという間に100日過ぎて

首も座って、寝返りもして。

先日、とうとう支えなしでも

座位が維持できるようになってしまった娘氏。





歳をとると涙腺がゆるくなる、って話は

よく聞くけれどもね。





あたしって

こんなに泣く人だったんだ!?



と、我ながら驚いている最近のできごと。





離乳食がはじまって、あたためた

ヨーグルトみたいだったウ○チの香りが

一人前の臭気を放つようになったことに泣き
母乳がなくても生きていける力がついたんだなー、と。


今日はお座りを維持して

赤ちゃんお煎餅を手に持って食べている姿に

泣いてしまった(笑)
自分で食べ物を受け取って口に運べるようになったんだなあ、と。





「ああ、この子は私がいなくても生きる」

って思えたの。





ハハとしての

嬉しくてさみしくて誇らしい気持ち。





この子はもう大丈夫。

なぜだかそう思って泣けた。




今日の日をありがとう。




むかし聞いたユーミンの歌を思い出す。


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今日の日はゆっくり

燃え尽きる 音もなく

離れゆく時へと 少しずつ。
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私はわたしとして生きる。

娘は娘として生まれて生きる。

そこで共有できる日々は

ものすごい奇跡なんだなあ。






と思って泣いた、という話。