少し前に話題の映画をみたら
シンプル化とか世界観の構築とか
ちょっとだけ理解が進んだことがあり
昨日それを話したらこちらのおふたりから
「うっちー、それはブログアップでしょ」
とのリクエストを頂きました。
※但しネタバレなしで!…って
ということでシンプル化の効果という視点で「風立ちぬ」解釈を。
えーと。
映画って何かしら伝えたいテーマをこめて作られるわけですから
「他人に影響を与える」ために作るって事ですよね。
それをより強い影響力にするために推敲が重ねられるわけです。
・・・ということで
【シンプル化】
子供の頃からの夢・理想を形にした飛行機を作りたいがために
毎日その事ばっかり考えてる(ように見える)主人公・二郎さん。
頑張って考えてるんじゃなくて
好きだから夢中で頑張っちゃう態です。
(仕事だから期限守る努力はしてますがね)
でもって不治の病を抱える婚約者・菜穂子のことも大好きな訳です。
ここが2本柱となって構成されています。
「自分がいちばん力を入れたいところ」だけだから
シンプルだよね、わかりやすいよね。
●あれもこれもやらない・・・ほぼ飛行機&菜穂子
●情報の排除・・・飛行機も菜穂子も絡まない話は殆ど出ません、当然ながら。
しかも二郎さん聞いてもきっと右から左なんだろうな、
たぶん興味ないから(我関せず。緊急性なし=まあいいや)
●人間関係・・・必要最小限しか描かれないよね、これも当然
●プロセスが増えると確率が下がる
劇中のストーリー展開をざっくり書くと
子供の頃抱いた夢→出会い①→夢に向かって→邁進→挫折→出会い②
→ウキウキ→翻弄される→急展開からの日常→エンディング
・・・な感じだったけれど。
取り上げるエピソードがありすぎたらテーマがぼやけるわけですよね。
文章とか映像とかで何かを伝えるときには必要不可欠とわかってるけど
果たして実生活では?? かなりの人が疑問なんじゃないかなあ。
それを実際に生きながら実践してゆくことが
現実化を早めるってことなんだよね、きっと。
ふむ。そしてもうひとつ。
菜穂子と二郎さんの暮らしは病状とか余命とか
普通なら相当気にしながら生きていきそうですが
そういう所はあんまり描かれていません。
無い訳じゃないけど、ふたりの関係とは
すこし距離を置いたところでの話になります。
ただただ・・・永くない命だけれど
日々を淡々と暮らす中で愛し愛される二人の姿が描かれています。
お互いの存在が愛なんだなあ。
居るだけでいい、ってこういうことなのか。と思ったのです。
家に帰ったら「いる」
隣に「いる」
って、なんて嬉しいことなんだろう(;▽;)
菜穂子も自分は何もできない、とか卑下するようには思ってないのね。
何があっても揺るがない世界観ってこういうことなのかな。
自分の余命を悟っている菜穂子ですが
・自分はどうせ死ぬとか
・こんな身体で申し訳ないとか
・世間体が、とか
・お世話になってる方に申し訳ないとか
思った事はあるだろうけどあんまりぐぢゃぐじゃ見せません。
存在自体が二郎さんにとっての愛。
ただそこにいるだけでいいんです。
飛行機を愛して止まない二郎さんのことを
菜穂子もたまらなく好きなんですね。
しばらく前まではわたし
・こんなにしてもらって申し訳ない、とか
・なんでそんなにしてくれるのか、理由が判らないから困る。
とか思ってたけど
それってものすごく愛されてるって事なんだよねーと思えて
涙腺が決壊してしまいました
あとは劇中、お互いがお互いのキーパーソンだったり
周りにはいつもよくしてくれる、助けてくれる人々がいて。
うまく運ぶ場をちゃんと選んで進むわけですよ。
で、結果的にそんな人々に支えられて
ふたりともしたいことをして残された日々を生きてゆくわけです。
●何か違うと思っても
●不安があっても
●人から指摘されても
ふたりで生きるための行動にエネルギーを使ってるんですね。
そっかぁ。。
シンプル化して、あんまりぐじゃぐじゃ考えないで
とにかく「やる!」って決めて一歩踏み出したら
こんな映画みたいな感動人生が作れるんだね。
そんなふうにいいタイミングで捉えられた映画でした。
長くて判りにくいけど。
ここのシンプル化が出来てない(笑)
そんな捉え方をした映画でした
シンプル化とか世界観の構築とか
ちょっとだけ理解が進んだことがあり
昨日それを話したらこちらのおふたりから
「うっちー、それはブログアップでしょ」
とのリクエストを頂きました。
※但しネタバレなしで!…って
ということでシンプル化の効果という視点で「風立ちぬ」解釈を。
えーと。
映画って何かしら伝えたいテーマをこめて作られるわけですから
「他人に影響を与える」ために作るって事ですよね。
それをより強い影響力にするために推敲が重ねられるわけです。
・・・ということで
【シンプル化】
子供の頃からの夢・理想を形にした飛行機を作りたいがために
毎日その事ばっかり考えてる(ように見える)主人公・二郎さん。
頑張って考えてるんじゃなくて
好きだから夢中で頑張っちゃう態です。
(仕事だから期限守る努力はしてますがね)
でもって不治の病を抱える婚約者・菜穂子のことも大好きな訳です。
ここが2本柱となって構成されています。
「自分がいちばん力を入れたいところ」だけだから
シンプルだよね、わかりやすいよね。
●あれもこれもやらない・・・ほぼ飛行機&菜穂子
●情報の排除・・・飛行機も菜穂子も絡まない話は殆ど出ません、当然ながら。
しかも二郎さん聞いてもきっと右から左なんだろうな、
たぶん興味ないから(我関せず。緊急性なし=まあいいや)
●人間関係・・・必要最小限しか描かれないよね、これも当然
●プロセスが増えると確率が下がる
劇中のストーリー展開をざっくり書くと
子供の頃抱いた夢→出会い①→夢に向かって→邁進→挫折→出会い②
→ウキウキ→翻弄される→急展開からの日常→エンディング
・・・な感じだったけれど。
取り上げるエピソードがありすぎたらテーマがぼやけるわけですよね。
文章とか映像とかで何かを伝えるときには必要不可欠とわかってるけど
果たして実生活では?? かなりの人が疑問なんじゃないかなあ。
それを実際に生きながら実践してゆくことが
現実化を早めるってことなんだよね、きっと。
ふむ。そしてもうひとつ。
菜穂子と二郎さんの暮らしは病状とか余命とか
普通なら相当気にしながら生きていきそうですが
そういう所はあんまり描かれていません。
無い訳じゃないけど、ふたりの関係とは
すこし距離を置いたところでの話になります。
ただただ・・・永くない命だけれど
日々を淡々と暮らす中で愛し愛される二人の姿が描かれています。
お互いの存在が愛なんだなあ。
居るだけでいい、ってこういうことなのか。と思ったのです。
家に帰ったら「いる」
隣に「いる」
って、なんて嬉しいことなんだろう(;▽;)
菜穂子も自分は何もできない、とか卑下するようには思ってないのね。
何があっても揺るがない世界観ってこういうことなのかな。
自分の余命を悟っている菜穂子ですが
・自分はどうせ死ぬとか
・こんな身体で申し訳ないとか
・世間体が、とか
・お世話になってる方に申し訳ないとか
思った事はあるだろうけどあんまりぐぢゃぐじゃ見せません。
存在自体が二郎さんにとっての愛。
ただそこにいるだけでいいんです。
飛行機を愛して止まない二郎さんのことを
菜穂子もたまらなく好きなんですね。
しばらく前まではわたし
・こんなにしてもらって申し訳ない、とか
・なんでそんなにしてくれるのか、理由が判らないから困る。
とか思ってたけど
それってものすごく愛されてるって事なんだよねーと思えて
涙腺が決壊してしまいました
あとは劇中、お互いがお互いのキーパーソンだったり
周りにはいつもよくしてくれる、助けてくれる人々がいて。
うまく運ぶ場をちゃんと選んで進むわけですよ。
で、結果的にそんな人々に支えられて
ふたりともしたいことをして残された日々を生きてゆくわけです。
●何か違うと思っても
●不安があっても
●人から指摘されても
ふたりで生きるための行動にエネルギーを使ってるんですね。
そっかぁ。。
シンプル化して、あんまりぐじゃぐじゃ考えないで
とにかく「やる!」って決めて一歩踏み出したら
こんな映画みたいな感動人生が作れるんだね。
そんなふうにいいタイミングで捉えられた映画でした。
長くて判りにくいけど。
ここのシンプル化が出来てない(笑)
そんな捉え方をした映画でした