美容美術館へようこそ
御来館者の皆様へ
当美術館は、館主が好き勝手に選んだ美術品とその作者をテーマに、好き放題述べた後は無理くり美容のお話に繋げてしまうという、むちゃぶり内容で構成されております。
私見や妄想も入っているため不確かな記述もあると思いますが、そこはゆるーく、娯楽程度に見て頂けましたら幸いです。
楽しんでいってね
パピコ片手にどうぞゆっくりくつろいで
先日、ある映画を観ていて、作中に出てきた一枚の絵画。
「どこかで見たことある・・・」
と思ってクローゼットの中をゴソゴソしていたら、
ありました。
自宅の道具箱の中に。
もちろんレプリカで、おまけにタロットカードになっているものです。
何年か前に購入した時は誰の絵か作者も分からずに、ただ
「キラキラしていて素敵なカード」
と惹かれて、ごくたまに使って眺めるくらいだったのですっかり忘れていましたが、
映画に出てくる実物のそれは、眩しいほど美しくて、強く印象に残りました。
『アデーレ・ブロッホ・バウアーの肖像Ⅰ』
1907年 ノイエ・ガレリエ ニューヨーク
『オーストリアのモナ・リザ』と称された絵画。
帝政末期のウィーンを代表する画家グスタフ・クリムトが、ユダヤ系銀行家で実業家のフェルディナンド・ブロッホ・バウアーの妻、アデーレをモデルに描いたものだそうです。
そう、誰の絵か分からないけれど美しい装丁だと思っていたタロットカードは、クリムトの絵だったのです。
購入当時、クリムトとムンクをごっちゃにするくらい絵オンチの私は、それでも時々使うこの78枚のカードデッキを見るたび、日本の表具や蒔絵を思わせるような意匠と、耽美で退廃的な雰囲気から、
「この絵の作者はきっと、気難しくて線の細いビジュアル系現代アーティストに違いない。」
と勝手に想像していました。(全然違った)
実際のクリムトは風貌も性格も"親方"(マイスター)そのものといった人で、職人階級出身であることに強い誇りを持っていたと云われています。
1862年にウィーンの貧しい金細工師の家に生まれ、工芸美術学校を卒業した後は、17歳の時に画壇の重鎮ハンス・マカルトの仕事を手伝ったのをきっかけに美術界で認められていきますが、
保守的な画壇に反発して、美術アカデミーからの分離を目指す仲間たちとウィーン分離派を旗揚げし、初代会長に就任。美術と工芸を融合した、ユーゲントシュティール(青春様式)と呼ばれる装飾的な画風を生み出していきます。
金箔を多用した斬新で特徴的な発想の源は、父や弟が携わっていた金細工と、1873年のウィーン万博などで見た日本の工芸美術から大きな影響を受けており、
東西の伝統工芸から権威や派閥にとらわれない、新たな時代の美術を紡ぎ出していったクリムト。
1907年〜1908年 オーストリア美術館 ウィーン
目を閉じて恍惚とした表情と官能的な姿態から、画家とモデルとの秘密めいた関係を窺わせるような『ユディト』
1901年 ベルヴェデーレ宮殿 ウィーン
生涯独身を通し、多くの女性と浮名を流したクリムトですが、最期を看取ったエミリエ・フーリゲが最愛の女性だったと云われています。
クリムトに限らずですが、
音楽でも文学でも、その作品から漏れ出てくるような官能性を漂わせている芸術家って、もれなく異性遍歴が奔放だったり、道ならぬ恋に苦悩していたりしますが、それが他の作品が持たない「独特の香り」となって人を惹きつけるのでしょうか。
時代は少し違いますが、バイロンや彼の劇詩を音楽にしたチャイコフスキーなど、その典型的な人のように思います。
彼らに共通して感じるのは、遍歴の相手は多くても、いずれも"芸の肥やし"のためといった浮いた感じではなく、本人達からしたらその都度それぞれの相手を真剣に愛していたのかも、というような印象です。
だからこそ、後世に残るような濃厚な一滴を絞り出せたのかもしれませんが、周りは甚だ迷惑大変そうです
さて、『アデーレ・ブロッホ・バウアーの肖像Ⅰ』と『ユディト』はどちらも前述の実業家夫人アデーレがモデルとなっています。
実際のアデーレは、華奢で理知的な顔立ちの洗練された女性であったそう。
白い肌に朱をさしたような薔薇色の頬。漆黒の髪に縁取られた、悩ましげな面輪が魅惑的なアデーレ
けれどもし、
その頬の赤みが、お化粧による演出ではなく、日常的に出ている状態だったとしたら・・・?
〈美容美術館③へ続く〉