「平和を愛する世界人として」を読みながら

「平和を愛する世界人として」を読みながら

「平和を愛する世界人として」
師としての文鮮明氏 
世界の全ての指導者の皆様に読んで頂きたい書籍です

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日本だけでなく全世界において、且つ全ての歴史上において宗教者は迫害を受けてきました。

それは本人の意思の結果とは全く無関係の事態で起こっている事が殆どと言って良い位の事です。

何故その様な事が起こるのでしょうか?

神がいるならば何故その様な事が避けられないのでしょうか?


それは、もし全ての事が因果関係があるとするならば必ず原因がある筈ですが歴史上ハッキリと解明が出来ずに今日まで来ています。

しかし、文氏は其れこそ「人類の堕落の結果」であると伝えています。

そして、何故その様な事態が起こったのかをも明快に答えております。

我々として全く無知たる状態からは考えられなかった理論的な且つ心情的な展開がそこにはあります。その内容は全ての宗教者には受容れ難いものであるのかもしれませんが、今は多くの宗教者からは受容れられております。
御縁があれば詳細はお近くの教会にて御紹介しておりますのでお尋ね頂ければと思います。
ご連絡頂ければ、私もご案内が出来ます。


氏は基点をキリスト教におかれて活動を展開されて来られました。

誤解と曲解、数え切れ無いほどの「異端」の謗りを受けながらも御弟子を開拓伝道に出されながら「人類の救い」の為に全てを捧げて来られた方でした。
その中ではご自分のお子様をも犠牲にされておられます。

しかし、何か氏自身に非が有る訳ではありませんでした。
一人の人間としてみるならば、愛する家族を失う事、それはどれ程に悲しい事であるか知れません。
氏は、其れをも公的に受止められ人類の為に犠牲になったと受止められて行かれました。

ここにもまた氏の凄さと一貫した姿勢があります。

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文氏の学生時代は火の玉の様であったと氏は伝えています。

地下活動の為に、日本の警察に何度もつかまり、取調べを受けて殴られる事や、留置場に拘禁されたりする事はかぞえ切れない程であったと書いています。

また、警察に追いかけられた時の事で、四谷の橋の元で欄干の柱を抜いて戦ったと言う事も言っています。
これを見ると天の摂理を全うする為の氏の心情はどれ程に燃えていたかを思わせられます。
そして、その事の故にどれだけ日本は氏の活動の妨げとなったかを思わざる得ません。
(この事はしかし、当時の日本にはそんな事は理解出来る筈がありませんでした。氏は後には韓国内においても、利害関係を発端とした謀略と誤解から多くの迫害を受けるようになる程でした。)

但し、この地下活動と天の摂理がどの様に関係しているのかは明記がありません。
が、韓国の独立が天の摂理には大きな期待があったものと思われます。


1943年9月30日に文氏は早稲田大学を当時の国状により半年早く卒業をしました。

そして、当時「崑崙丸」と言う韓国への渡航船により帰国する予定でしたが、文氏は「足が地に付いて離れない」と言う不思議な経験をしたと話しています。

実際に韓国の御実家にはその船に乗って帰国する旨の手紙を書いておられます。
しかし、氏は「この船に乗らない事が天の御心である」と判断されての行動をされたわけです。

かくしてその船は500人もの乗客を乗せたままアメリカの潜水艦に撃沈されましたが、お母様は船が沈んだと言う事を聞かれた時に、足に怪我を負いながらも息子を思い8キロもの道を裸足で駆けて、確かな情報を得ようとされたそうです。

氏の不思議な天の導きは本当に凄い物が数多くあります。

それと同時に、氏は多くの言われ無く、凄まじい迫害をも受ける様になります。

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 文氏は生活費を稼ぐ為にも色々な仕事をされました。
 
重い物の配達をしたりした際の品川方面へ配達をされた時のお話は他の書籍でもよく書かれているようです。
 
そして韓国の開放の為にも多くの地下同志と活動もしており、時には警察が早稲田大学の門前で待ち構えていたと言う事です。
日本の警察も相当に厳しかった事は少し話を聞いた事がある方ならよくご存知かと思います。

日本人にすら厳しいのに占領下の人間に対しては人権が無いかの様な扱いになったのでは無いでしょうか。

韓国の方は今も思うのですが、ちっょとやそっとでは絶対にへこたれないし、柔軟性もあると思うのです。
ただ、法律とか規則と言うものに対してはあまり囚われず、自分の思うままにやって行こうとする姿勢があまりにも強く、特に秩序性の強い日本においては際立ってしまう事が多々あると強く感じます。

民族性の違いからと言ってしまえばそれ迄ですが、何か事を行う時はこの姿勢は必ず必要ですし、無ければ何事も成し遂げる事など出来ないでしょう。

ましてや、「天の摂理を全うしていく」為にはこの意思の強さが絶対的に必要であると思います。

現実に、全く知らない地に行っても生活をしていける「精神力の強さ」には本当に驚かされます。

全ての方がそうでは無いとは思いますが、文氏はこの様な中でも際立ってこの姿勢が強い方では無いかと思うのです。
しかし、そうかと言って意固地では無く、非常に柔軟性にも飛んでいるのです。
それ故に目的観に徹底しておられる証拠では無いかと思うのです。

今の私達に本当に必要な面の数多くの事を学べるとも思いますが、決して半端等と言う状態ではありません。
この方には想像を絶するものがそこには存在しているのです。

文氏は後に語っておられますが、
『「何々だろう」では無く「何々である」と言う事を確信を持って話しているんだよ。』と。

此処に文氏の素晴らしさ、凄さが垣間見られる事を改めてお伝えしたいと思っています。
其れだけではありません。私が直接に見聞きしたこの方の凄さ、素晴らしさをもっともっとお伝え出来ればと思います。

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その様にして、若さと体力のある10代の後半を文氏は日本で学業と活動に専念して過ごされました。
そして、やがて光復節(終戦日)を迎える訳ですが、更に文氏を取り巻く環境の激化と奇跡の数々が歴史的に記されて行きます。

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