8月21日は母の命日。
21年目になる今年、ようやく母と再会しました。
ヒプノセラピー(催眠療法)の中で、母と会話できたのです。
ずっとずっと聞きたいことがありました。
57歳でなくなった母。
やり残し、悔しい思いがあるのではないか?
もっと生きたかったのではないか。
私を学ばせてくれるために、自己を犠牲にして、
この人生のシナリオを選んできたのではないか?
私のために、、、、
悲しみの大きさに比例するように、
母の死からの学びはとんでもなく大きかった。
「私のために、今生の寿命を決めてきたのではないか」
勝手に背負った罪悪感ですが、、なかなか下ろすことができず、
胸の奥底がずっと苦しかったのです。
催眠療法中に逢いに来てくれた母は、私の声を通して語りました。
生前の性格の中から、心配性の部分を完全に消去して、
明るい陽気な部分をぎゅっと濃縮し、それをさらに倍増させたような存在感。
全く湿り気のない、カラカラっと明るい笑い声で、
私が長年抱えてきた問に答えてくれました。
「なあんにも思い残したことはないのよ! やることをぜ~んぶやったの。
それがやりたかったことだから! それをやるために来たんだから!」
疑念を抱く余地など微塵もない、清々しいほどのきっぱりさ。
明るく、軽く、きっぱりとした輝く存在感。
天での充実ぶりが伺えました^^
暗さがなく、重さがなく、迷いがないのが天の在り方なんだな~
さらに母は、夫との関わり方に悩んでいる私にこんなアドバイスをくれました。
「あなたが甘えればいいのよ。それがお互いの学びになるの。
でも、どうせ甘えるなら可愛く甘えなさい。
大丈夫、あなたは可愛いんだから。
可愛い、可愛い私の娘なんだから!!!」
私号泣ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
母の愛は強し!!!
自分も母になったので、この愛しい感覚が痛いほどわかります。
お母さん、ありがとう。
この役割を自ら選ぶ、あなたの愛の大きさに敬服します。
やっぱりすごいな。
この大きさに触れたら、罪悪感など木っ端微塵。
ただ愛だけが残りました。
お母さん、大好き、アイシテル!
ありがとう。
お祖父ちゃんのときも、母のときも、葬儀が全て終わり、火葬場から家に戻ると
庭木の周りをアゲハがひらひらと舞っていました。
挨拶に来てくれたんだな。 アゲハは私にとって特別な存在です。