邪馬台国と卑弥呼 | 幸せを呼び込む神社 神さまからの後押しを頂く参拝とは

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こんにちは
産土神社鑑定士 真壁辰郎です。


我が家では新聞は
SANKEI EXPRESS
をとっているのですが

今朝の新聞の裏一面に
次のような記事が掲載されました。


卑弥呼の墓説がある
奈良県桜井市の箸墓古墳(はしはかこふん、3世紀中~後半)など
同県の天皇陵や皇族墓計44カ所を
明治9年に撮影した写真と原板が

宮内庁に保存されていることが18日分かった。
同庁書陵部によると日本で最古の古墳写真という。






古代史最大の謎といわれる
邪馬台国(やまたいこく)の場所と
女王・卑弥呼。

邪馬台国の所在地に関しては
近畿説、九州説などがあり
いまだに決着はついていません。


そもそも卑弥呼(ひみこ)自体が
あまりにも謎に包まれており

架空の人物ではなかったのか・・・

という説もあります。

私は中学生の頃から
古代史に興味を持ち

京都から電車に乗って
奈良県の古墳群を
何度も見に行ったものでした。


伊勢の遷宮のこの時期に
今回のこのような写真が出てきたことにも
意味合いを感じます。

宮内庁に保存されていることが分かった・・

とのことですが

これは最近になって見つかったという感じには
私は到底受けとれません。

このような写真があることは
おそらくずっと以前から分かっていたことでしょう。

「このタイミングで発表されたにすぎない」

そういうふうに私は思っています。


ここからは私個人の見解ですが

卑弥呼は実在したと思っています。

卑弥呼は

日出づる国の巫女(日いづるくにの みこ)

であり、
シャーマンだったのではないでしょうか。

そして卑弥呼はひとりではなく
現在のチベット仏教のダライ・ラマのように

何代も続いてきていると
感じます。

卑弥呼というと
邪馬台国の時代だけがクローズアップされていますが

初代の卑弥呼は
もっと古くにさかのぼると思っています。


魏志倭人伝(ぎしわじんでん)が指すところの
邪馬台国(やまたいこく)は

現在の奈良県桜井市の三輪山をご神体とする

大神神社(おおみわじんじゃ)の近くに存在していたと
私は感じています。

当時は
広大な国だったかもしれません。


このようなタイミングで発表された
今日の古墳写真ですが

本当はもう

宮内庁では邪馬台国の所在地も
卑弥呼の墓所も

わかっているのかもしれませんね。

なぜなら宮内庁そのものが
あまりにも謎が多いですから(苦笑)


一般人には知らされていない
驚くべきような真実が

山のようにあるはず・・

と感じています。


それらを知れるときが
来るのでしょうか・・・

知りたいですね。





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