こんにちは
ユビニティーです!
1951年に米国が世界初の原子力による発電を成功させて以来、世界ではエネルギー源としての原子力に注目が集まり、平和利用が進められてきました。
今回は、日本において原子力の利用がどのように進められてきたのか、その歴史を振り返ってみましょう。

◇日本における原子力の平和利用の黎明期
日本での原子力利用のはじまり
国連総会で、アイゼンハワー米国大統領による『Atoms for Peace』と呼ばれる歴史的演説が行われたのは、1953年。
1950年代から1960年代は、世界各国で「原子力の平和利用」が始められた期間といえます。
日本でも、1955年、原子力基本法が成立しました。
これが、日本における原子力利用の始まりです。
基本法では、原子力の研究や開発、利用は平和を目的としたものに限ること、
また、「民主」「自主」「公開」の三原則にもとづくことが定められています。
原子力基本法の原案の大半は、後に首相となる中曽根康弘氏が委員長を勤めていた衆院両院合同委員会で決定されました。
また、この法律で設置が定められた「原子力委員会」の初代委員長には、正力松太郎氏が就任しました。

◇日本で初めての商業用原発の誕生
当時の日本には、まだ原子力発電(原発)を建設するノウハウがありませんでした。
そこで、米国や英国などに協力を仰ぎ、原発の開発が進められました。
また、当時の先端技術であった原発を、民間企業のみで開設することは難しかったことから、国も協力して「日本原子力発電株式会社(日本原電)」という会社が設立されました。
そして1966年、日本で初めてとなる商業用原発として、日本原電の東海発電所が、茨城県那珂郡東海村に建設され、運転を開始しました。
これは英国から導入された「黒鉛減速ガス冷却炉」と呼ばれる方式で、核分裂によって放出される中性子の速度を、ガスによって下げるしくみでした。
この運転開始により、原発に関する日本への技術移転が始まり、徐々に国産の原発が開発されていくこととなります。
◇エネルギーの安定供給に向けた原発の積極導入
オイルショックが原発導入促進の契機に
1973年に起きた第一次オイルショックが起こったことにより世界各国では石油への依存しすぎていることにリスクを感じるようになります。
日本でもオイルショックによる混乱は大きく、世界各国で石油資源へ依存することに対してリスクに感じるようになりました。
日本でもオイルショックにおける混乱は大きく、エネルギーの安定供給が重要な課題として考えられるようになりました。
その解決策として注目されたものが原子力発電になります。
当時の首相である田中角栄氏が全国へ導入の促進を呼びかけました。
1974年には発電所の立地を促進するため、立地地域への交付金を定める法律が整備されました。
原発の導入が進んだ背景には、こうした政策の後押しによるものがありましたがここに至るまでの間に原発に対する理解が進んでいたこと。
また、電気の需要が増えてきたことによる安定供給が求められていました。

◇原発の相次ぐトラブル
世界的にも原発の導入が順調に進められ本格的に利用されるようになってきたころにいくつかの事故やトラブルが発生しました。
1979年ではアメリカのスリーマイル島で、1986年にはソビエト連邦のチェルノブイリで大規模な原発事故が起こります。
日本国内でも1995年に福島県の高速増殖炉「もんじゅ」でのナトリウム漏洩事故。
1999年には、茨城県の東海村にある株式会社JCOのウラン加工工場で臨海事故が起こりました。
また原発に関する点検データの不正が明らかになるなど、国民からの不信を招く事態となります。
一方で原発では発電時に二酸化炭素の排出しないクリーンなエネルギーとしても注目されるようになりました。
2010年に策定された第三次エネルギー基本計画において2030年に原子力発電比率50%越えを目指すと記載されました。
こうした中、2011年に東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故が発生。
深刻な被害をもたらすことになりました。
政府は、福島の復興・再生を全力で成し遂げ、震災前に描いてきたエネルギー戦略を白紙から見直すことを出発点とし、2014年には、「第四次エネルギー基本計画」を閣議決定しました。
同計画の中で、「原発依存度については、省エネルギー・再生可能エネルギーの導入や火力発電の高効率化などにより、可能な限り低減させる」と明記されました。
今後はより安全面に気を付けながら再稼働していく必要があると思われます。
日本はどうしてもエネルギー資源が少ない国ですので原子力発電も重要なエネルギーの一つとされております。
時代の要請に応じた利用が必要になるでしょう。
