u8lcskq333のブログ

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笑ってますか今日俺は面接に行きます。
まったく知らない分野です。
友人が紹介してくれました。
今月誕生日を向かえ30歳になりました。
もう新しい仕事をするにはこれを最後にすると思っています。
ただ、今まで生きてきて獲ったセンスや友人、その他を巻き込んで生きて行きたいと思ってます。
先月友人は東京から熊本まで来て、俺に言いました。
お前は今でも貴重な人材で俺の周りにはお前しかいない別にSEになりたかったわけじゃない。
でもその一言だけで決心がついた。
新しい分野で戦うのに必要なのは、根性だと思ってる。
他の人が見たら、馬鹿だろうと思うかもしれない。
それでいい。
俺は馬鹿なんだから。
俺は馬鹿のままでいたい。
だからみんなも安心していい。
俺の大事な所はこのまま変わることはないから。
目先の目標は最低35までには独立する。
俺の夢を実現するためには必須だから。
また720に新しい出会いがあった。
信頼する一人の人から、そこの会社の社長を紹介していただいた。
営業マンとして、自分より実績があるし、現在も3社もってて、3社とも黒字らしい。
素晴らしい。
俺は悔しい。
悔しいけど、相手の方が1枚も2枚も上手だ。
今社会人として負けてるだろう。
相手は56歳戦ってきた年数が違う。
年数じゃないな。
戦ってきた年数濃さのものだろう。
でも魅力は感じない。
いや、感じ取れなかった。
なぜなら輝いてたのは彼が32歳の時だから。
会話をしていた中で、力あるものは過去の栄光を話す。
それは過去にのみ自分が輝いていたものを証明するものだから。
その社長はそれが無かった。
そこがまた悔しいのかもしれない。
言われてわかることもある。
俺は青いそれは俺が経営者としての実力が不足しているんだろう。
実績か考え方か生き様か本気の会話は同じ土俵にたってこそ会話になる。
猫が悪さをして本気で怒れる人はいないだろうし。
ただヒントはくれた。
2週間断食したら見えるものがあると。
飲み会の席でその場で決心をして飯を食べるのをやめた。
今5日目だ。
腹が減った。
昔に断食に近い経験をしたことがある。
その結果現状では、ハングリー精垂ニいうか、まさにハングリーで餓えだ。
前回は自分でやろうと決心してやったわけじゃない。
今回は自分の意思でやろうとしている。
目的はその社長にもう一度自分を見てもらう為だ。
前回は力が及ばないのを理解した。
次は断食というフィールドであれば、同じフィールドに立つことができる。
本音でいうと、その社長に今すぐにほしい知識がもらえなかった。
向こうにしても、与える義務がないのだから、言わないのは当然だと思う。
まして、心から敬意がもてない相手であれば、当然俺の心の準備ができてない。
斜に構えてしまってる。
でも本気で生きてきた人間は何かをもっている。
だからこそ懐に飛び込む。
飛び込んで意地を見せる。
やってみろと言われた時、やるかやらないか。
その判断は自分にある。
今の俺に失うものは健康以外はない。
リスクを負わずして本気を見せる要素を俺は知らない。
俺は馬鹿なんだろう。
だから体を壊すんだろう。
死ぬ気が無ければ相手を殺すことは出来ないだろう。
今でも餓えは苦しい。
あと3日もすればもっと苦しいだろう。
餓えとは一次的欲求で人間には最低限かつ最大の欲求なのだから。
これはすべての人において平等。
だからこそ高い位置に座ってる人とも会話が出来る。
俺がもしこれを達成できなかったら、みんなは俺を見捨ててもいいと思う。
所詮その程度の人間だったとhttp://www.masturbation-sp.info/
前の日記では、インドの人について書いたとおもう。
本当の餓えとはそこだ。
死ぬまで食べれない。
文句をいう相手も、気力もない。
死んでしまったら、翌日大型トラックがやってきて、道端で餓えてる者は蹴られ、反応が無ければ死んだとみなされ、トラックに投げ込まれる。
それでおしまい。
俺は日記なんか書いてる余裕がある。
逆に今だから書けるのかも知れないけど笑もしその時の俺にもっと気概があれば、そのまま1ヶ月食わない生活が出来るのかもしれない。
俺の意地がどれだけ持つか、自分でも興味がある。
自分の目で見て、泣いた経験がここで生きるなんか想像もしなかった。
人とはなんぞ。
餓死することもまた一つ。
餓えの無い人間に託せるものはないだろう。