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青空遊歩のブログ

旅芸人・青空遊歩のブログです。

 

 これは只今、テストしています。 

 

 

 

 

   醜女の神様。

 この石造がそうです。

 

・写真1

 

 実在した女性をかたどったものです。

 モデルの人物は戦国時代、薩摩のお姫様。亀姫さま。

 そして石像の名前がジメサアといいます。

 亀姫さまの戒名

「持明院さま」

 これを鹿児島の言葉でジメサアといいます。

 

 この石像のあるところというのが

 

写真2

 

 鹿児島観光された方なら目にするであろう、軍服姿の西郷隆盛像。

 西郷(せご)どん像のあるところは市の美術館です。

 その西郷どんの真裏にひっそりとジメサアは佇んでいます。

 シンボリックです。

 薩摩隼人の代表・西郷隆盛と薩摩おごじょの模範、ジメサアが表と

裏にあるコントラストです。

 

「ブスの神様」

 さあ、その由来、ご説明しましょう。

 

写真3

 秀吉が天下統一間近、九州平定に向かいます。

 最後まで抵抗していた島津のお殿様も多勢無勢。とうとう降参しました。

 となると、秀吉のもと、人質を差し出さなければなりません。

 男の子がいなかった島津のお殿様。可愛いひとり娘・14才の亀姫を泣く泣く

人質として秀吉の元に送り出しました。  

 

「殿下、只今、島津より人質の亀姫が到着いたしましてございます」  

「ふんふん、さよか。挨拶は後でよい、挨拶は今宵でよいと伝えおけ、

今宵でな、ふふふ」

 

 哀れ亀姫、着いたその日のうちに夜伽を命じられたのです。

 

「これ亀、苦しゅうない、近こう寄れ」

 秀吉は亀姫の肩を抱き寄せると

「どれどれ、顔を見せてくりゃれ」

 行灯を引き寄せて亀姫の顔を見た秀吉は一言

「帰っていい」

 

 それほどの醜女だったんですね。 

 

・人間、何が災いし、幸いするか分かりません。

 

 こうして亀姫は鹿児島へ帰れることになりました。

 しかし、これは恥辱でございます。

 行きは戦国名門・島津の意地です。

 大名行列のような御駕籠でしたが帰りはお忍びの徒歩(かち)。

 とぼとぼと歩いて帰ったんですね。

 

 ところが、このことが良かった。

 亀姫は帰る道中、人々が何に喜び、何に苦しんでいるか、人々の暮らしぶりを見て帰りました。

 

 そして帰国後、島津の傍系(ぼうけい)から婿を迎えると、いささか立場は上ということもあって

「殿、それでは領民が苦しみましょう、こうなさっては如何ですか」

 はたまた

「どこそこの藩では水害のとき、このようにして復興していましたぞ」

 

 政(まつりごと・政治)に助言する妻となりました。

 それも領民を慮(おもんばか)った政治をするように導いたのです。

 そのことに鹿児島の人は大感激します。

 

「奥方のお顔は……ん、だが、なんとお優しい方だ」

 

 人々は、いつまでも亀姫、ジメサアの徳を忘れまいと、この像をつくりました。

 

 女性の美しさとは、姿かたち容姿ではない。

 心根の優しさこそが美である。

 

 そうでありたい薩摩おごじょ。

 理想の女性のお手本として伝えられて

 ジメサアの命日、10/5鹿児島中の未婚女性がお参りし、

 

「どうか心が美しくなれますように」

 石像に白粉(おしろい)を塗り、紅をひくという風習が残っています。

 

・たとえ醜く生まれても

 美しく生きれば人々から愛される。

 

 

・写真4 島津墓地

 

 あらためて女性の美について考えさせられました。

 美しく生まれたら幸せか?

 

・オチ

 世界三大美人

 クレオパトラ