2022/03/03

 

自分の頭を整理するためにこれを書いていこうと思う。

 

これは2014年4月の私のアルバム(日記)

 

「これを書いている今、テレビはウクライナ情勢を映し出している。

この写真(ベルリンの戦勝記念塔)とそっくりな画が映し出されている。

キエフの独立記念広場の中心にある天使の塔の元に人々が集まっている。

ウクライナはどうなっていくのだろうか。」

 

 

当時の私は、ベルリンから帰国し、

写真を纏めながら旅を回想しようとしているのだけれど、

書き込まれている文章からは、

その時テレビに映っているニュースで

頭がいっぱいになっていることがうかがえる。

 

 

2014年にウクライナでは戦争が始まった。

 

 

そして2022年3月3日

BBC放送から、「キエフの街で戦闘が起きている」

というアナウンスが聞こえている。

 

 

ここ数日の報道から伝わってくるのは、

「今ある危機」に慌てふためいている世界の姿。

 

でもプーチンが登場した20年以上前からその前兆ははっきりとあった。

 

 

対チェチェン、対南オセチア、対ジョージア、対クリミア、

その一連の戦争の流れの中にキエフがある。

 

 

その前兆をはっきりと声にあげて警笛を鳴らしていた人がいた。

 

 

私は、2004年に日本で出版された

「チェチェンやめられない戦争」を読んだことをきっかけに

その警笛を意識し始める。

 

 

著者のアンナ・ポリトコフスカヤ

 

モスクワで週2回発行される独立系新聞、ノーバヤ・ガゼータの新聞記者。

プーチン政権が強権的性格を強めた時期から、

取材で掴んだ情報を鋭い批評眼で発信し続けていた。

1999年以降、チェチェンに通い戦火に暮らす市民の声を伝え続けていた。

あのロシアから!

 

 

彼女は、毒を盛られて意識不明に陥ろうとも、

弱者に寄り添う姿勢を崩さない。

プーチン政権への批判的論陣を張り続けていく。

 

 

彼女の取材を通して、私は戦火のチェチェンに強い関心を寄せるようになっていった。

 

そしてチェチェンの人々の文化や精神に深い親しみや感動を覚えていく。

 

当時、世界は2001年9月11日を皮切りに「テロとの戦い」に舵を切っていた。

プーチン大統領は「テロとの戦い」としてチェチェンへの軍事作戦を正当化していく。

そして、西側諸国はチェチェンにおける人権侵害を批判することをやめてしまった。

 

チェチェン人はテロリストなのか?

アンナ・ポリトコフスカヤは、チェチェンの実情を誰よりも綿密に正確に

発信し続け、プーチン政権を批判し続けた。

 

彼女はロシアの良心だった。

 

チェチェンに興味を持った私は、

あるドキュメンタリー映画に出会う。

 

「踊れ!グローズヌイ」

 

戦火に追われ、散り散りになった子供達を集めて、

再結成された民族舞踊団「ダイモーク(我が祖国の意)」

活動資金稼ぎを兼ねた西欧諸国へのツアーに出かける彼らを追ったこの作品は、

彼らがテロリスト呼ばわりされ戦火に晒されていることへの憤り以上に

踊りの中で放たれる、人間の純粋な美しさや強さを感じさせる素晴らしいものだった。

 

当時、私はこの作品の上映会と、チェチェン戦争の実情を伝える勉強会を開いた。

 

 

「テロとの戦い」とは何なのか?

私なりに必死に世間の潮流に抗おうとしていたのだろう、と思う。

 

 

チェチェンの戦火を生きた医師、

ハッサン・バイエフの凄い著書にも出会った。

 

「誓い」THE OATH

 

チェチェンの歴史と、チェチェン戦争の実情が克明に記されていると同時に、

チェチェン人の精神性の高さ、強さに圧倒される。

 

ハッサン・バイエフがアメリカに亡命した後、

アムネスティー・インターナショナルの招待で、彼の来日講演会が開かれた。

私が初めて実際にお会いしたチェチェン人がハッサン・バイエフ先生だった。

 

本当に、想像以上の素晴らしい人物だった。

多くの人にこの本が読まれてほしい。

 

 

そして、ロシアにいて、プーチンを批判し続けている

アンナ・ポリトコフスカヤは?

 

ロシアの良心であり続け、

私の心に真実という灯火を与え続けてくれていた彼女は?

 

2006年、10月7日、プーチン大統領の誕生日でもあるその日に、

自宅アパートで糾弾に倒れ48歳の生涯をとじた。

 

このニュースが舞い込んだ時のショックは忘れられない。

「いつか彼女は暗殺される」、「これだけのことを暴いて生きていられるのは奇跡だ」

と言われ続けていたけれど、

本当に殺されてしまった時のショックは自分の想像を超えていた。

 

「チェチェンはどうなってしまうのだろう」

「ロシアは良心を失ってどこへ向かっていくのだろう」

 

不安とショックを共有できる仲間もおらず、新幹線に飛び乗り、

東京で開かれていた彼女のための小さな追悼集会に向かったことを覚えている。

 

 

 

 

 

 

彼女の死後、日本で出版された

彼女の日記「ロシアンダイアリー」

 

 

2003年12月から2005年の8月までのロシアの政治状況を克明に綴ったこの取材日記は

彼女の命を奪った真犯人の姿を映し出している。

プーチン、FSB、チェチェンの支配者たち、マフィア、

そのいずれであれ、

暴力的な抑圧体制を信奉する旧ソビエトの後継者たちが

彼女の死を望んでいたのは明らかで、

実行犯が誰であるかはもはや意味がない。

 

 

 

 

話を2022年現在に戻そう。

 

 

今、テレビではウクライナ、ロシア、プーチンという言葉が飛び交っている。

 

プーチンは一体何を考えているのか?

ロシアとは何なのか?

 

 

私なりに今理解していることをまとめておきたいと思う。

 

ロシアのルーツは、

9世紀~13世紀に栄えた「キエフ大公国」という

古代ロシア(別名ルーシ)国家。

現在のキエフが首都であり、

10世紀末「ウラジミール1世(聖公)」の時

(↑プーチンと同名で彼が尊敬してやまない人物)

ギリシャ正教が国教になる。

そして当然キエフはロシア人の心の拠り所となる。
ロシア、ウクライナ、ベラルーシの現代国家は、

「キエフ大公国」を同じ文化的祖先として建国されたが、

ソ連邦時代に統一され、ソ連崩壊後独立。
ここで、プーチンという人物が現れ、

“ロシア大帝国”の再現を実現しようとする。

彼は、ソ連崩壊時はKGB情報員として東ベルリンに在住し、

そこで大きな衝撃と失望のトラウマを抱かえた人物。

ソ連邦解体時に、西側(相手はレーガン、サッチャー)との交渉の場に立会い、

ワルシャワ条約解体と同時に、NATOは東に拡大しないとの約束を交わす。

(しかしそれは口約束だった。)
 

「大帝国の夢」「西側に対する怨念」
 

この二つがプーチンを支えている信念と怨念であり、

彼の認知の歪みを引き起こしている大きな要因でもある。

 

TVからは「最近のプーチンの異変」「彼は精神に異常をきたしている」

という憶測も聞こえてくるけれど、

私の目に映る彼の姿勢は昔も今も一貫している。

そして、考え方を変えさせることは不可能だと思われる。

 

世界は彼の認知の歪みに屈するしかないのか?

そして、世界から理解されず追い込まれた末の彼と、

ウクライナは、ロシアは、ヨーロッパは、世界は、

心中することになってしまうのか?

 

 

2003年当時、ロシアンダイアリーで、

アンナ・ポリトコフスカヤはロシアの現状を悲観して

こう記している。

 

「現在の反体制勢力はあまりに脆弱だし、政権を倒そうという目的意識に欠ける。

ロシアの人々が自発的に抵抗運動を続けるとはもっと考えにくい」

 

今、現状はどうか?

 

6人の記者、関係者を暗殺されても

未だロシアで独立系を維持し続けているノーバヤ・ガゼータがある。

(去年ノーベル平和賞を授与された)

 

逮捕さえても毒を盛られて意識不明になっても

叫び続けるPUSSY RIOTがいる

 

 

服役中のナワリヌイは今日も

「沈黙するな」とロシア国民に呼びかけを続けている。

 

少なくともチェチェン戦争が行われていた当時、

声をあげる人はほぼ皆無だった。

私の周りでチェチェンを知っている人はほとんどいなかった。

 

 

プーチンが発狂して核のボタンに手をかける速さと、

ロシアでアンナ・ポリトコフスカヤらが撒いた種が実る速さと、

どちらが速いか?

 

いずれにせよ、希望はロシア国民の反発にかかっているように思う。

 

戦争に反発するデモに参加し、

警官に抱えられ捕らえらているロシアの若者がTVに映し出されている。

 

がんばれがんばれ

 

祈りながら、思考停止に陥らない、と必死でもがく自分がいる。

 

私にできることは何か?

 

と考えているのではない。

 

私はただ、自分なりのものの見方、考え方を失わないために

疑問を持ち続けよう、考え続けよう、と自分に言い聞かせている。