フェイク置き場

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偽装日蓮教団の実態を暴く!「フェイク」FAKEの最新号をお届けする「フェイク置き場」です。

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フェイク 第1435号(発行=14.02.06)
日顕の「中啓ミサイル」今も健在
三つ子の魂百まで、九十一歳の凶暴な坊主
客殿での唱題会の後、所化に暴行

〝三つ子の魂百まで〟と言われているが、腕白小僧だった日顕は九十一歳になった今も暴力を振るう。先日、大石寺・客殿での唱題会が終わった直後、日顕が興奮した面持ちで一人の所化に向かって「おい、お前、ちょっと来い」と怒鳴りつけるやいなや、手にした中啓でその所化の頭をバシッと殴りつけた。

 居合わせた約五百人の参加者は、日顕の暴行現場を目撃して唖然とし、なかには顔面蒼白になった法華講員もいたが、本紙や創価新報などで報じてきた日顕の凶暴な体質が真実であったことを認識したことだろう。

 日顕が何故、所化を叩いたのか、詳しい理由は分からないが、唱題行が苦しく辛いので所化に八つ当たりしたのだろうとか、日如が阿部信彰に猊座を譲る気配がないからイライラが募った結果ではないか、という見方もあるようだ。

いずれもせよ、哀れなのは訳も分からず、強打された所化である。

日顕が子供の頃に〝子守り役〟をしていた日開の弟子の金沢法頂(奈良・寧楽寺の住職、故人)は、日顕が猊座を盗み取った時、ある人に次のように語った。

「あれ(日顕)が猊下になったら心配だな。あれは気が短くてダメなんだよな。すぐ怒りよる」と顔を曇らせ、「私は、あれの子守番をしていたが、気が短いうえ、我がままで困ったんだ。その頃から瞬間湯沸かし器で、すぐカッとなる。どうしようもない子供だった」

 日顕が上野村の小学校に通っていた頃、女の子の家に上がり込んで、押入れの中に身を潜めていた少女を引きずり出して、したたかに殴ったことがあった。

 この日顕がニセ法主になると、いつも中啓で本山の所化を叩く。これを所化は「中啓パンチ」と呼んで恐れていたが、日顕は自慢気に「中啓ミサイル」と名づけている。

 この中啓は室町時代に作られて公家が使い始め、僧や武家の間に広まったと言われ、今では僧らの儀礼用扇として使われているが、日顕だけは所化を殴るための武器として使っている。

 実録小説「大石寺・大坊物語」(改革同盟・渡辺雄範著)には面白い挿絵(別掲)と共に、日恭の五十回忌(平成六年六月十六日)での日顕の話を次のように紹介している。「私は丑寅勤行におかしな態度をしている所化小僧がいると必ず怒るんだ。それでも言う事を聞かない奴は、この〝中啓ミサイル〟だ」

こんな日顕の暴力行為は死ぬまで治らない。

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