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古野まほろさんの「命に三つの鐘が鳴る」




帯の惹句は「探偵と犯人と被害者の三角関係に、探偵が勝ったことなどない。ないのだ。」




「天帝シリーズ」とも「相克シリーズ」とも違うまほろが読めると聞いて手にした「悲劇シリーズ」。

(おもに文章表現の面で)想像以上。「天帝」の絢爛豪華なルビと衒学はかなり削ぎ落されていたし、「相克」のいわゆるラノベっぽさも見えなかった。作家さんのテクニックはすごいなあ。とはいえ時折覗くまほろ語(「うげら」とか)にはニヤリ。その辺のバランス感覚もすばらっ!です。

でも(作品の主題において)ブレないひとだとも。思った。

主人公は二条実房警部補。22歳。東京帝大で(革命的)学生時代を過ごした異色の内務官僚。ちなみに「天帝シリーズ」に主人公・古野まほろのよき理解者として登場。そんな二条の許に、ともに闘争の時代を過ごした職業革命家・我妻雄人が出頭する。恋人の佐々木和歌子を殺害したという。和歌子は二条の元恋人でもあった。犯行の事実を全面的に認める我妻だったが(そもそも自首だし)動機だけは語ろうとしない。なぜ、我妻は恋人を殺さねばならなかったのか?

そんな話。犯人も手口もぜんぶ分かってる探偵小説。いや、警察小説なのかも。
「天帝」とも「相克」とも明らかに違うのは言うまでもなく、ホワイダニットであること。それも、徹底的に。
古野まほろは兎も角、小諸るいかに関しては動機論への関心、皆無でしたからね。

でも、そうやって事件の性質を大きく変えても古野さんの描く主題は同じで。


分かり合えないひととひと。それでも、それ故に、言葉を紡ぐことの意味。


なのでした。「天帝」や「相克」では探偵の傲慢が、人外の孤独が、テーマの上で大きな役割を果たしていたように思うけれど、今回はなんだろう。

うまいこと言えん。

「愛する人を愛を信じて殺せるか」とか?。(ぼくの大好きなアニメ「喰霊-零-」のキャッチコピーですよ。)

話があっちこっち飛ぶけれど、ぼく文学部なんですよ。四年間勉強して分かったのは「(テキスト読んでも)何が言いたいのか分からん」ってことでした。文学研究が昔から今まで、そしてきっと未来永劫続いてゆくのは「わからない」からなんだろうなと。三流大学で四年過ごして分かりました。もっと真面目に勉強したひとはもっと絶望的にわからなかったんではないかと思います。逆に。

でもこれってたぶんタイムマシンが完成してソクラテス=プラトンの切れ目がより厳密に分かろうが、全国津々浦々の琵琶法師集めて平家物語の蒐集をしようが、分からんのだろうと思います。

現に、現代作家の真意だって理解出来てないし隣の人が何考えてるのかも家族が何考えてるのかも分からないし。というか、古野まほろの真意だって当然分からんし。

とっちらかってきて収拾つかないので、以上!

まだまだ、言葉を使いこなせないなぁと思う日々なのです。