Wonderful life on the shoestring

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10年ぶりに

時を超えて、時代はインスタになっていて、

ここに記事を書くのは、きっと10年以上ぶり

だと思う。僕は41になり、子供も2人いる。

まさに、時を超えてしまった。

関西異動前の整理整頓で長い東京出張。

土日をつかって、千葉の東金の居酒屋にいる。

明日も一宮で海に入る。

すっかりサーフィンはライフワークとなり、

千葉にはお世話になってばかりだ。


インスタに、忘れていたけど

ここのブログのURLを貼っていた。

普段読む事はないけど、

ふとリンクを押して読んでみた。

タイムカプセルみたい。


遡って読んでいたら、

「サイゴンの夜」という記事を見つけた。

29歳のとき。もう12年前になる。


"仕事にしてもプライベートにしても大切なのは
必要なときに必要な環境にいることのように思う。

自ら導き出してひきつけた環境であれば、物事一つ一つが輝きやすくなる。

その中で小さな幸福を感じることができる。

これには思考に「遊び」を伴った行動も必要で、本能的に自分がやって

これていたとすれば、僕は恵まれている。"


...これ、29で書いたのか?

自分の言葉になんか感動してしまった笑


今、この記事を、俺は書けるだろうか。

色々経験してきたはずなのに。


遊びは、時を超えても

一番大切な事だ。全てのチャンスや、

豊かな出会いは遊びから

生まれていると、本当に思う。


また、ふとしたときに、

このタイムカプセルから、過去の

ペルソナから、何かを教えてもらおうかな。


エチオピア旅行の記録④:足るを知ること

17時間のフライトと中国・杭州での一日ストップオーバーを
経て、エチオピアから日本に帰国。それから一ヶ月程もう経ってしまった今
この文を書いてみた。
今回、エチオピアという国の「普通」を、時間は限られてはいたけれど、
自分なりに、年相応の目線で見てみた。その普通の殆どは外国人にとっての
異様であったり、異常となるんだろ、というのは簡単に想像がついた。
異様や異常とかは、良くも悪くも刺激からくるもので、それはWebやTVを
通じて得ることも今は簡単にできるんだけど、
それでもやっぱり旅行はええなと毎回思う。
情報化社会で、いわゆる見た事がある、は結構増えているはずなのに。

色んな情報が自分の意思に全く関係なく迫ってくる環境の中では、
人の感情が見えにくくなってきていると感じる事がある。
感情が見えにくくなってきている中で、正確に普通を自分なりに咀嚼・解釈
できるんかな?IT企業で働く自分としては、この発想にはやや怖さと寂しさを感じる
事も多い。でもやっぱりアナログって重要だよなー、と。
見て知って安心して終わったら、ある意味孤立に向かって進んでいってる
ともとれるからなー。だから体感して、自分を思い出さなあかんときはあるよなー。
これは仕事でもそうで、現場はやっぱりとても大事なはずだ。

動物的な匂いを感じ、
鼻くそが一瞬で黒くなるような世界で空気の流れを感じ、
乾燥続きで肌荒れのスピード感を感じ、
猛烈な虫さされからくるかゆみを感じ、
続く停電の中で、復旧したときの眩しさからくる雰囲気の暖かさを感じ、
人の喜怒哀楽を感じ、
信仰心からくる厳粛さを感じ、
ふと孤独も感じ、
こっちが追いつかないくらい連日、時間単位で、その国の普通が
迫ってくるのを感じる事ができるのは、やはり現地でしかない。
TVから無意識にも迫ってくる言葉が仮に10000文字とすると、現場には
それが無数にあふれている。その分、ものの見方を判断するにも
たくさんの選択肢ができる。逆に、無数にあふれているが故に、
毎回意味を求める必要がないのと、その大切さにも気づく。
だから、知るためには行ったほうがいいということやなー。
できる限りにはなるけど。それを深く今回かみしめることができたから
旅行してよかった。

知るために動くことの繰り返しで、普通とは何か?という命題に対し、
非常に寛容な心で向き合っていけるようになるのかも
しれないなーと思う。あらゆる普通に対する寛容性。
ある意味生命力に通ずるもので、こんな話してると、
俺なんかゴキブリみたいやな…。
普通とは何か?その決定は人から与えられず、自分が得た経験とwillからしか
与えられないものかもしれないなー。日々勉強やな~。
足るを知る、は体感したときのみ得られるものと思うのです。

エチオピア旅行の記録③:その原動力

ハラルを離れ、星が見える中、首都・アディスアベバ行きの
バスに乗り込む。朝4時。エチオピアのバス朝早すぎ。
目的のバスはどこに停まるかわからないし、暗闇なので余計不安。同じように
震えながら待つ人に「ここでいいの?」と聞くと、英語は通じなかったけど、
「いつもここに停まるから大丈夫」と言ったように思えたので少し安心した。

30分程するとバスが来たので、バックパックをかかえ乗り込んだ。
車内は冷えきっていて、動き出すとすぐに、隣の女性がターバンを体中に
巻き付けるように眠った。
誰一人言葉を発する事無く、悪路でバスのきしむ音が異様に目立った。
誰だか関係なく、肩に頭をよせ眠る。で、次第に朝になった。
今年の初日の出は、鉄臭いローカルバスの中になった。ちょっと拝んだ。

朝焼けの頃、峠でバスが止まると、一斉に皆降り、男性も女性もそこらで用を
足していた。かなりの絶景。
バスは進み、延々と続く悪路。埃まみれが続く、
でもって日中帯になると車内は蒸し風呂に変わる。誰もがぐったりして動かない。
今日は新年。全然ハッピーニューイヤーじゃねえ。
既に買っていたミネラルウォーター500mlが3本切れてしまった。

12時間の移動を終え、夕方近く、バスはようやく首都のアディスアベバに到着。
この日は食事とビールを1本飲んだだけで疲れて眠ってしまった。
何とも味気ない新年。

最後の目的地であるラリベラには早朝の国内線に乗り、朝9時頃に到着。
空港の周りは赤茶けた山で覆われていて、日本の緑々しいイメージの山とは
全く違う。なんか男性的というかそんな感じの風景。
霜が降りていて、気温はかなり低かった。乗り合いのバンに30分程揺られ、
峠を二つ程超えると、ラリベラの町に入った。
眺めの良さそうなホテルを見つけ、荷物を置き、ホテルに隣接していた
レストランでコーヒーを飲みながら休んだ。
そろそろ旅も終わりに近づいてきたな~と思った。腹も今んとこ壊してないし、
ついてるな~と思いながら。カラフルな鳥が木から木へ飛び交っていて、
うるさいくらいに鳴いていたが、心地の良いものだった様に思う。
ちょっとした楽園のような感じだ。風鵜が吹くと寒いけど。
休みながらロンリープラネットを開き、今回行きもしないエリトリアや
ソマリランドの地図を見て、いつか行ってみたいと思ったりした。

これら日本に全くなじみのない国に何があんだろ?飯うまいのか?とか
考えながら。
その後、イタリア人数人とテーブルを共にし、これまでの行程を交わしあったりした。
「ここのピザはあんま美味しくねえ」とか言ってた。あたりめえだろうが(笑

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エチオピアのクリスマスは1月の7日、8日だそうで、到着したのが4日。
クリスマスの直前で多くのプリーストが村中を行き交っていた。
ラリベラの教会の裏手には、多くのテントが張られていた。旅行者としては
クリスマス中は世界中から写真家等も集まり、歩けない程の人が集まるそうなので、
クリスマスの雰囲気を感じるにも、直前のこの時期がとてもいいらしい。
なんかついてるなー。

教会は一枚岩をくり抜いた作りで圧倒される。
23年の月日をかけ作られたという教会群。
歩いている中で、聖書を読む人、教会の壁に額をあわせじっと祈る人、
聖水をもらう人。厳粛な雰囲気に、歩調は自然とゆったりになる。
経験した事のない信仰心の渦の中に自分が巻き込まれたようで、
現実感がいまいちない。
それでも彼らは、おのぼりさんのように教会の下から上まで口をぽかーんと
たまに空けながら見ている僕にWelcome to Lalibela、と言ってくれる。

翌日、ラリベラの裏にある聖山に登る事にし、
早朝にロバを引き連れて出たのだが、ロバが結構貧弱で中間点あたりで
まさかの、動かなくなってしまったので、岩にロープをくくりロバが逃げない
ようにすると、そこからはアシューと呼ぶ青年と一緒に自分の足で登る事にした。
3時間近いトレッキング。予想以上に断崖絶壁やし、空気薄いし、
なんぼかひどい目にあったものの、ものすごい絶景。
途中中継点では、男性が巡礼中の女性に水を与えていた。

「山から流れる水は聖水とされ、女性が自らすくって飲んでは行けない決まりに
なっているんだよ」とアシューは言った。
これを飲めば、体内の全ての悪と細菌を洗い流す事ができるんだと。
すげえな。だから飲めよ、ホシー。と言われたが、断ってしまった。
水は山のような赤茶色の土が混ざっていた。

この断崖絶壁を、相当な高齢者も無心で登っているように見えた。
自分とは圧倒的に異なる目的で。信じる事の強さ。体に血が巡り、
体を動かすその原動力というのは人や取り巻く文化に大きく左右されるが、
自分にとっての原動力は何なのか、知っておく事はとても重要な事のように思う。
神や仏である必要は勿論ないんだけど。
何を信じ、求めて、血が体中を巡るのか。
今回の旅行でもどこかいえることかもしれないけど、
自分でも驚くような無理ができる何か、継続的な努力ができる何か、
それには必ず何かしらの強い信じるもの・ことが取り巻いている。
エチオピアの厳しい気候が示すように、巡礼する彼らも幾度となく信じることから
裏切られたような気になることもあるんだろうけど、
それを乗り越え続けているんかな?
と思いながら見ているとなんだか神々しく映ってみえた。

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エチオピア旅行の記録②:ハラルで聞く夢

首都・アディスアベバを離れ、国内線でエチオピアの東部へ。
飛行機はディレダワというエチオピア第二の町に着陸した後、再度飛び立ち、
砂漠地帯のど真ん中に着陸。

これといって町っぽいものもみえず、ほんまに町あんの?と思いながら、
エチオピア人についていくように飛行機を降り、滑走路を歩く。真昼でめちゃ乾燥して
刺さるように暑い。町までの移動手段が見つからず困っていると、
たまたま目的地としていた町・ジジガを経由しソマリランドに向かう一行がいたので、
町まで乗り合いで一緒に向かう事にした。

「ジジガって何があんの?」
「なんもないみたい」
「それは楽しみね」といった会話をする。

この辺の旅行者は「なにもない」に楽しみを感じる変な奴ばかりだ。
というわけでこの辺なんか変わったモスクがあるわけでもなく、遺跡があるわけでも
ないんだけれど、大量のラクダがマーケットで取引されているらしい。
多くの農作物が売られている横で、多くの衣服が売られ、その横で種類豊富な香辛料が
売られ、その横で数多くのラクダが…みたいなやつ?それちょっとおもろいな。
で、運転手に「ラクダどこいんの?」と聞くと、
町から5km位離れていて、歩いていくにはちと無理なんじゃね?とか言われたので、
めんどくさくてやめた。

風は弱いのに、それでも埃はそこら中で高くあがり、遠くは
とてもぼやけて見える。薄い肌色の大地しかない、とても単調な風景。
木も殆どない。道中、数多くのロバを従える村人に道を塞がれた。

なんとか泊まる所を見つけ、腰を下ろし、なんかどっと疲れたので
少し昼寝した。アザーンが聞こえた。イスラムの町。

昼下がりの時間になり、町をカメラ一つ持ち歩く。
町は休日バザールで人であふれていた。ものすごい視線。
チャイナコールがものすごい。子供にはカンフーのまねごとでからかい返したり、
ジャッキーとか言ってごまかした。

町はあらゆるものが通り過ぎた。水を運ぶロバが通り、牛が横切り、
目だけをのぞかせたベールをまとった女性が、ラクダの背中を泥水で流していた。
時にソマリア方面から来る国連の車も通った。
バザールでは絶対買わねえだろ?というような小さい服を買えとしきりに
勧められた。売り物に自信を持っているような表情をしていた。
通り過ぎるあらゆるもの・埃・熱。鼻がすぐ詰まる。
正確に言葉でうまく解釈できない世界。全てに意味はあるはずなのに。
それがちょっとした混乱を呼ぶ。またチャイナコールがかかる。
一つ柄の美しい生地を見つけ、「How much?」と聞くと通じなかったので、
ペンでメモ帳に数字を書き、交渉した。
交渉しているうちに数十人という人に囲まれだし、30ブル(約120円)で
ケリをつけると歓声があがった。
帰り道、バイクタクシー越しにエチオピアばあばに投げキッスされた。
夜はレストランぽいとこに行くと見慣れない人の登場に店主がプチパニックに
なってしまったので、仕方なく路端で揚げていた謎の三角形の
ちまきみたいなものを5個買い、夜飯にした。
豆ばかりで異常に固く、美味しくはなかった。


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翌日ジジガを離れ、早朝のローカルバスでイスラムの聖地である世界遺産・
ハラル旧市街に向かった。荷物を置くスペースも無く、
バックパックを前に抱えながら、峠をいくつか越え、それほどしないうちに、
バスはハラルのバスターミナルに到着した。

ターミナル裏の眺めのいいホテルを見つけ、荷物を置き、近場で見つけた
食堂で朝食を食べた。ブルという名前の朝食
(パンにジャガイモとオクラとかが入った謎のスープにつけて食べる)が
とても美味しい。

ハラル旧市街は細い路地が規則性無く縦横無尽に走っていて、
一度入るとどこに抜けるかわからない。それがまたドキドキとさせ歩きがいが
あって面白い。
しばらくして旧市街のカフェでコーラを飲んでいる時、
一人のドイツ人女性と出会い、話をした。「何でハラルにきているの?仕事?」
と聞かれたので、仕事な訳ないじゃんと思いながら、旅行ですよ、と答えた。
仕事でエチオピアに来ているといい、エチオピア南東部のソマリア国境付近で
医療活動をしていると言った。彼女は医者だった。
今日はたまたま移動中で休みだったので、旧市街観光をしているの、
と言っていた。既に11ヶ月間が経ち、来年の10月末までは帰らない、と言った。

仕事で見るエチオピアの姿ってどんなんだろ?ちょっと興味があり、聞いてみた。
あまり多くは話さなかったが、得てしてとても親切な人の多い国で好きだ、と言った。
仕事の中でみる国の姿と、旅行でみる国の姿は全く違う側面がある。
インドネシア駐在中に体感したことだ。
そんな働きながらの環境で話す言葉に、同感もし、そしてやや悔しくも思った。
その後、彼女が雇っていた町案内のガイドもふくめ、3人で町を歩く。
「これはアムハリック(エチオピア語)で何て言うの?」といった会話を
しきりに繰り返す。聞いた言葉を味を確かめるように反芻しているようにみえた。
ゆっくりと歩く。

主に働いているエチオピア南東部は、ソマリアが近いので、ソマリアの食事を
結構食べる事ができるそうで、
「ソマリアの食事とエチオピア、どっちがうまいの?」と聞くと、
圧倒的にソマリアね、と答えた。
エチオピアで美味しい食事が殆どできていないので、そうであってほしいと
思った。

「ただ、パスタを食べるとき、彼らは手で食べるの。まねしたら火傷しかけて、
あれはできないわ」と笑った。

砂漠の中。

「ーあいつらはなぜあれほど大勢でエキサイティングだスペクタクルだと
騒ぐんだ?歩くの早えし」とぶつぶつ不満を言ってあるく彼と
「確かに意味わかんねえ」といいながら、赤い砂漠、ナミビアの砂漠を歩いた8年前。
あの時の彼もまた、ドイツ人だったのをふと思い出した。

この町もまた本当に人が親切で心暖かい。大抵は笑って、手を振り、
終わるだけの一期一会だが、それがわかっていて躊躇無くできる彼らはすばらしい。
突然もし同じようなことをされた場合はまず疑う、そんな環境に自然と徐々に囲まれ、
今の年になっていることを、そこで感じた。
ある意味、この場所は自分がいる国の昔のかたちなのかな?とも思った。

ふと、彼女がガイドの男に聞いた。

「あなたの夢は何なの?」自分が聞かれた訳ではないのに、どきっとした。
どきっとする事には色々な意味が含まれる。
自分に置き換えたこと、それと、それをまた躊躇無く聞けるという事だ。

ガイドは柔らかい笑顔で、ただ良いガイドとして、
といった意味の事だけ話していた。

「あなたの夢は何なの?」直球で。
普通ガイドされ中に聞かねえだろ、そんなこと。そんな姿はかっこよかった。

彼女の雇っていたガイドはとても雰囲気がよく、
ニックネームをダニエルといった。翌日、僕はこのガイドと一緒に町を歩いた。
彼はガイドのくせに割と無口で、淡々と歩く方だったので
逆に変に友好的なよりも気楽だった。
脱力的な歩き方と歩調がとてもフィットした。
一日中歩き、夜の道を二人で歩いた。
「俺はほぼ毎日この道を歩くが、この時に見える星空が何よりいいんだよ。
この町は」とそう言っていた。

彼にとっての一番の風景は、旧市街の町並みではなく、星空だった。
ロマンチックな奴。髪アフロだけど

夜飯を一緒に食べている中、彼はしきりにレストランで
後ろに座っていたイラン人のカップルに声をかけ、明日のガイドはどうだ?と
言っていた。

「彼のガイドはどうなんだ?」とカップルから聞かれたので、
そりゃパーフェクトだよ、と答えた。
彼の頼んだピザがとても大きく「そんな食べれないでしょ」というと、
「払ってもらうんだから、ちゃんと食べるよ」と言った。

そして、
「日本はもう新年だね」とも言った。12月31日だった。

※ハラル旧市街について…
 http://ja.wikipedia.org/wiki/ハラール_(エチオピア)

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エチオピア旅行の記録①:夜の独房で


エチオピアまでの道のりは結構予想通り遠く、杭州経由のデリー経由の、で、
ようやく到着する、ことになっている。

杭州のチェックインカウンターで並んでいたとき、
既に周りはエチオピア人で一杯で皆あり得ないほどの荷物をカートに重ね
並んでいました。
箱買いしたであろうカップラーメンを詰め込もうとしてるやつとかもいる。
上はビニールでカップ麺の蓋が規則的につらつら~と並んでいるのが見えた。
そんなん現地で買えよ!! とか思い、
それら物・人に挟まれるようにとりあえず周りに合わせたっていました。
超暇。

なんか前から後ろから、独特で、動物的な匂いが漂ってくる。
はらはらするような匂い。

首都のアディスアベバまでの飛行機は杭州を夜8時頃飛び、
深夜、デリーに停まった。デリーから、隣にはインド人の若い女性が座り、
異様に不安な目をして、機内食にも手を出さず、前をじっと見つめ、
手を合わせているように見えたので祈っているのかな?何で?と思った。

飛行機はほとんど揺れず、安定飛行過ぎてちゃんと動いて進んでるんかいな?
とすら思ったりする。トイレに立つ人も多くなく静か。

窓からは満月で、雲が目立って見え、次第に日が出てくると、
眼下には砂漠とやたら乱暴にのびる道が何本か見えた。上から砂漠を見ると、
思ったより白く見えるんだな~と思った。
時間的に丁度アラビア半島上空を飛んでいると思った。

「今何時ですか?」

ふと、隣のインド人女性に話しかけられ、多分朝9時頃だと思います、
と言うと、お礼だけ言われ、また女性は顔にまで毛布をかぶり、眠った。
8年前のアフリカ縦断時と比べても、時間は限られているし、
ちょっと年もとり不摂生ばかりの日々、免疫も落ちてると思うし、
この女性みたくちょっと不安はあるよな~。と、毛布をかぶり動かない
横をみながらそう思った。
そんな頭から足まで毛布にならんでも。。。ミイラみたいやんか

飛行機は徐々に高度をさげ、着陸。あー遠くまできたわ…。
帰りたくても即には帰れない距離

空港からは多分80年代位の古いアメ車のようなメーターすら無い
青いタクシーでホテルまで向かい、チェックイン。
腹が減ったので併設のレストランで不味いパスタを食べる。
レストランはテラスが多く、たくさんの欧米人旅行者がパソコンをたたいたり、
何か書いたり、本を読んだり、物思いに耽ったりしていた。
静かなレストランで、鳥がよく鳴いた。ものすごく居心地がいい。

夜まではアジス(アディスアベバ)市内を散歩したり、
近寄ってきた怪しいエチオピア人と話をして時間をつぶし、
お礼にコーヒー代払ってやろうと思ったら逆に安いからええでと言われ
おごってもらったりした。

アジスはナイロビやダルエスサラームと異なり、思ったよりギラギラしていない。
何か落ち着いている雰囲気で、ストレスは殆ど感じない。
ただ、うんざりするくらいチャイナチャイナと言われる。日本人なのに

ホテルの部屋はお金をけちったのもあり、もはや独房。
窓も開かず、電気つけないと真っ暗で、電気もつくまでに10秒
近くかかり、つくまでのあの間がとても嫌だった。

フロントのパソコンで、facebookの最初のアップデートをした。
「今アディスアベバにいます。明日フライトし東部エチオピアに向かいます」
当分アップデートは難しいかな?と思いながら。
夜の独房みたいなとこで、せっかくきたし、真面目に考え事でも
してみっかということで、言われたことを思い出す事をしてみた。
「なんでよりによってエチオピア行くの?」
「エチオピアってどこ?エジプトの下?」「何めざしてんの?」
「首都ってアディスアベバだっけ、アジスアベバ? アディスアババ?
アババ?何それ」

くそー。そんな真面目に知りたがってないようなトーンで
そんな答えにくい事聞くなよ(笑)。

で、あかん、いい答えでねえ。
少なくとも、今この瞬間ではわからんなあ。。。なので、
眠くなったので結構あっさりと寝た。

今日は金曜日。帰るのは来週の土曜日。結構長いかもな~と思いました。
(続く)
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