先日の田中実さんの自殺に続き、上原美優さんが自殺した。
自死3万人といわれている昨今、芸能人だけではなく、電車や地下鉄の人身事故等にみられるように、月に数回は自殺報道を見聞きする。
私の住む町でも最近自殺者が出た。全く知らない人ではあるが。
私は病気を通して「自殺」ということに、感情と行動で直面した。結局は現在こうして生きている。ただ死ななかっただけで、死んでいてもおかしくない状況であったことは事実である。それが故に、私にとって「自殺」というのは他人事ではないのである。
人は元来、弱いものである。だから誰しもが何らかの形でコミュニティに所属している。自給自足の生活をしている人であっても、国保や年金は払っているし、誰かが作った道具を使っているし。もし本当に独りで生きている人間がいたとすれば神では無かろうか?
話はそれたが、私の今の気持ちはモヤモヤしている。自分も自殺するのではないだろうか?という不安にここ2ヶ月ほど駆られている。精神状態的には良い状態ではない。仕事やプライベートで悩みがあれば相談もできるが、そんな不安材料は見当たらない。ただ単に「自殺衝動」のような気持ちが出たり隠れたりしているだけである。
これをまともに誰かに話すとすれば、ドン引きされるのがオチである。相手は相当返答に困るだろう、私ならそうだ。
しかし、私もちょっと限界が来てしまい、意を決して嫁に話した。すると「生きている以上、死は表裏一体だ」というような返答があった。至極真っ当な意見である。客観的というか、冷静に考えればそうである。この話をまともに話すことが出来るのは、リアル世界で嫁以外に2人いる。親にはさすがに話すことはできない。ある意味3人の人たちがいるというのは私の生命線である。そう思うと私は恵まれているのかもしれない。
しかし、自殺を考えている時の自分は主観的になっているので、登場人物は自分しかいない。周囲のことを考えられるわけはない。以前も書いたが、私は独り哲学というか独り会議をしていることがよくある。議題にもよるが、対外的なことでない限り、自分自身を見つめる時間であって、自分がどう生きるかということについて話が展開されていく。おそらく、かなり面倒くさい人なのかも知れない。
そんな面倒くさい私が自殺に敏感になっているというのは、面倒くささに拍車をかけていると思う。自分で自分を苦しめているわけだ。
どうすれば良いのかわからないし、どうにもならないことなのはわかっている。ただ、不安なので自己防衛として話すことや記事を書くという行為でなんとかしようとしているだけである。
さて、そんな私であるが、死の淵に立った当時の自分は事実として過去にあった出来事である。死の淵から戻ってきて今はウロウロと徘徊している。暫くは何かわからない自殺に対する不安と付き合うことになると思うが、なんとか生き延びていきたい。でも、本音は怖い。「死ぬことを考えるくらいなら何でも出来る」みたいな言葉があるが、実際はそうでは無いと私は思う。死ぬ気で頑張ったら本当に死ぬと思う。ただの弱気の人間だと言ってしまえばそれまでだが…。私が仮に自殺したとしても、それは私にとっての寿命であったということで考えてもらえれば良いだけである。何かの宗教の信者ではないが、人はこの世に生を受けた時点で寿命は決まっていて、その原因が病気なのか自殺なのかは人それぞれなのかな?と思う。だから、上原美優さんも若かったけど寿命だったのだと思う。
自死3万人といわれている昨今、芸能人だけではなく、電車や地下鉄の人身事故等にみられるように、月に数回は自殺報道を見聞きする。
私の住む町でも最近自殺者が出た。全く知らない人ではあるが。
私は病気を通して「自殺」ということに、感情と行動で直面した。結局は現在こうして生きている。ただ死ななかっただけで、死んでいてもおかしくない状況であったことは事実である。それが故に、私にとって「自殺」というのは他人事ではないのである。
人は元来、弱いものである。だから誰しもが何らかの形でコミュニティに所属している。自給自足の生活をしている人であっても、国保や年金は払っているし、誰かが作った道具を使っているし。もし本当に独りで生きている人間がいたとすれば神では無かろうか?
話はそれたが、私の今の気持ちはモヤモヤしている。自分も自殺するのではないだろうか?という不安にここ2ヶ月ほど駆られている。精神状態的には良い状態ではない。仕事やプライベートで悩みがあれば相談もできるが、そんな不安材料は見当たらない。ただ単に「自殺衝動」のような気持ちが出たり隠れたりしているだけである。
これをまともに誰かに話すとすれば、ドン引きされるのがオチである。相手は相当返答に困るだろう、私ならそうだ。
しかし、私もちょっと限界が来てしまい、意を決して嫁に話した。すると「生きている以上、死は表裏一体だ」というような返答があった。至極真っ当な意見である。客観的というか、冷静に考えればそうである。この話をまともに話すことが出来るのは、リアル世界で嫁以外に2人いる。親にはさすがに話すことはできない。ある意味3人の人たちがいるというのは私の生命線である。そう思うと私は恵まれているのかもしれない。
しかし、自殺を考えている時の自分は主観的になっているので、登場人物は自分しかいない。周囲のことを考えられるわけはない。以前も書いたが、私は独り哲学というか独り会議をしていることがよくある。議題にもよるが、対外的なことでない限り、自分自身を見つめる時間であって、自分がどう生きるかということについて話が展開されていく。おそらく、かなり面倒くさい人なのかも知れない。
そんな面倒くさい私が自殺に敏感になっているというのは、面倒くささに拍車をかけていると思う。自分で自分を苦しめているわけだ。
どうすれば良いのかわからないし、どうにもならないことなのはわかっている。ただ、不安なので自己防衛として話すことや記事を書くという行為でなんとかしようとしているだけである。
さて、そんな私であるが、死の淵に立った当時の自分は事実として過去にあった出来事である。死の淵から戻ってきて今はウロウロと徘徊している。暫くは何かわからない自殺に対する不安と付き合うことになると思うが、なんとか生き延びていきたい。でも、本音は怖い。「死ぬことを考えるくらいなら何でも出来る」みたいな言葉があるが、実際はそうでは無いと私は思う。死ぬ気で頑張ったら本当に死ぬと思う。ただの弱気の人間だと言ってしまえばそれまでだが…。私が仮に自殺したとしても、それは私にとっての寿命であったということで考えてもらえれば良いだけである。何かの宗教の信者ではないが、人はこの世に生を受けた時点で寿命は決まっていて、その原因が病気なのか自殺なのかは人それぞれなのかな?と思う。だから、上原美優さんも若かったけど寿命だったのだと思う。