私は読まずにいられない

私は読まずにいられない

様々な小説作品を読んだ感想、備忘録、ちょっと珍しい?本との出会いの記録など、本や文学についてのとりとめないよもやま話を綴っています。数年前から、小説であれば純文学、SF、ミステリー、ハードボイルド何でも問わず読んでいる"にわか"本好きです。

本や読書についての話や日々の雑感などを綴っています。

 ここ暫く記事の投稿から離れていたが、三月に入って多忙だったこともあり、読む方に注力しようという試みがあったので書くのが億劫になったことが大きい。


 その間に漸く読み終えたのが森鴎外の「渋江抽斎」とアナトール・フランスの「神々は渇く」の二作品である。



 こちらは同じ本のビフォーアフターなのだが、読み終えた頃には折角のグラシン保護がスッカリ捲れあがってしまっている。
職場の昼休みに少しでもと持ち運び、ポーチから頻繁に出し入れしたのが凡その原因と思われるが、グラシン保護のお陰で帯をふくめた本体は頗る健全である。

 「渋江抽斎」は一人の人物からその家系と歴史を辿った史伝といわれる読物であるが、なかなか根気を要する読書になった。
かと言え、途中放棄は決してし難く抽斎を取り巻く人々や出来事を知るほどに一項ごとでも読み進めたいと思える作品である。

 森鴎外の格調高い文は然ることながら、旧字の読めない漢字と小説を読んでいると陥りがちな人物・人名・関係性の多さに程なくペースが落ちてくる。
おまけに一人の人物においても字(あざ)や通称、改名などとにかく昔の人は名前が多く、これもあって読みながらやや混乱してくるのが正直なところ。

 しかしながら時折覗く抽斎の四人目の妻、五百(いお)の賢妻振りやその子息子女、縁者に関係者たちの足跡を辿って行くと目が離せなくなってくる。

 それらの文はただその人たちに何があったか、亡くなった際は概ねいついつ「没した」とだけを淡々と書き連ねているようにも思えるものだが、頭のなかではそれらの積み重ねで一大の大河ドラマを観ている気分にさせてくれるものがあった。

 つまり、抽斎という人物を通して光る一族周辺と、一族周辺を通して光る抽斎と大きな二つの見方で歴史上無名の人の系譜を愉しむことができるのが「史伝」ということが分かった次第である。

 若さゆえの遊蕩で途を誤りかける親族の逸話など、読むほどに今も昔も無きにしもあらずの話がそこかしこに散りばめられているところも「史伝」のよきところでもあった。

 そして「渋江抽斎」が通読できたのだから大抵の小説は苦もなく読めるだろうと自信がついて4、5日で読めたのが、久しぶりに最後まで堪能できた海外小説であり、フランス革命前夜の殺伐とした出来事を綴ったアナトール・フランスの長編小説「神々は渇く」である。

 こちらについてはまたいずれ。