これだけ理解してたら生きることなんてどれほど楽になるんだろう
人間ってすごく不思議なもので
隣にいる人の身体に触れることはすごく簡単なことなのに
心に触れようとするとその途端に何百メートルも先に突き放されたりする
「死にたい」とこぼす人の前で
「大丈夫、生きてればいいことがある」これほど無効力で馬鹿げてる励ましはなくて
"言葉"ほど美しくて儚いものはないんだと思う
自分のことならどこまでも前向きに動かすことができるのに
それが自分以外へとなるとどうもそうはいかなくて
だから人っておもしろいんだと思うし、愛おしいし、大切に思ったりするのだろうけど
時々どうすればいいのかわからなくなる
良いことがあれば悪いことがあるのは当たり前で
どん底っていうのは大抵穴であって道ではない
ただわかってほしいってそれを押しつけるのはきっとエゴで
さみしい時くるしい時に寄り添いたいと思う気持ちもまたエゴなのかもしれない
嬉しくて泣くことも悲しくて泣くことも昔から人一倍多かった気がするけど、
それが自分という人間を大きくするのなら
それもまた幸せのうちなんだと思うようになった
自分と家族以外の人を心から愛するには
自分の中の汚い部分やたくさんの矛盾を受け入れないといけなくて
それが難しいから人は愛を信じられなくなるのだと思う
本当の問題は相性でも価値観でも性格でもなくて
自分自身の中に宿る悪なのかもしれない
一番とかじゃなくても
目の前で泣いてる人がいたら話を聞きたい寄り添いたい
でもすごくすごーく冷めた自分もいて
自分の中に住む天使と悪魔がうまくやってくれればなと思うことも多い
気づかなくていいことに全部気づいてしまう自分も好きじゃなかったな
自分を好きでいるってことは
大嫌いな自分も自分の中に住まわせていくってことなのかな
だって嫌いなとこも全部含めて好きだもん、自分のこと
自分みたいになってほしいんじゃない
ただ光は割とすぐ近くにあって、
悲しむことをずっと続けることによってその光はまた遠ざかるんだよって。
自分が当たり前のように気付いてきたことって、きっと音楽だったり自然だったり、人から教育されること以外がすごく大きかったからか、
人には口頭では教えられない。
傷付いて気付くことはすごくいっぱいあるし。
その痛みを感じる時期にこそ
ただ一緒にいてあげられるような人でありたいな。
楽しいときに一緒にいる人なんて誰でもいいもんきっと。
誰でもよくはないか、いつでも。
自分の周りにも、そうでなくても、
あまりにも悲観的な人が多すぎるよ。
心配だけど、甘やかしたくないんだな。
自分で気付いてほしい。
人はみんな愛されてるよね、きっと。
そうだといいな。
