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以前、初代タイガーネタの時にイワン・ゴメスという人に少し触れたので、今回はそのネタを。

イワン・ゴメス…その昔、カーウソン・グレイシーから柔術を教わったバーリ・トゥード王者です。

1974年、アントニオ猪木氏に挑戦を表明しました。

しかし、どのような経緯でそうなったのか…彼は新日本に留学?(でいいのかな?)して来ます。プロレスを学ぼうと。

藤原組長なんかとよく練習していたようですが、足関節技の「ヒールホールド」はこの時彼が新日本に持ち込んだ技らしいんですね。(アントニオ猪木・談)

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組長も彼から教わった、と何かで語っていましたね。

しかしこのゴメス、あまり良い扱いはされなかったようで。やはり組み技、寝技が出来てもプロレスの試合は一朝一夕では出来ない訳で。プロレスは下手、でもガチは強い…扱い悪いの分かります(笑)。

それにしても、新日本プロレスはずっと昔にグレイシー(ブラジリアン)柔術、バーリ・トゥードとの出会いがあったんですね。

今ではこのゴメスの事は結構知られていますが、彼の存在と、彼がずっと昔に新日本に来ていた、という事実を知った時は驚きました。

そして新日本のボス(当時)である猪木氏は幼少の頃、ブラジルにいましたね。その頃「グレイシー」という名は知らなかったけれども、お兄さんが空手家なので格闘技関係の情報というのは耳に入ってきて、コンデ・コマ由来の柔術がブラジルに存在する事は14歳の頃に知っていた、と!

さすがアントン(^O^)

これは今さら言っても仕方のない事ではありますが、当時の新日本がもっとゴメスを、彼の技術を重宝していたら…彼の技術を積極的に取り入れていたら、新日本プロレスはずっと前に最強軍団になっていたのでは?

当時は今と違い、情報を入手するのも困難な時代だったので致し方ありませんが、

せっかく柔術の使い手が来ていたのに、勿体無いですね!

まあ、日本のマット界にヒールホールドを取り入れる事が出来ただけでも良しとするべきでしょうか。

後に修斗を作る佐山聡氏にも多大な影響を与えたようですし、

ゴメスは日本の格闘技界にしっかりと爪痕を残していった訳ですね。

それにしても惜しいなぁ~

勿体無い…(^^;;




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