最近初代タイガーネタが多かったので、二代目にも少し触れてみたいと思います。
二代目タイガーマスクの「中の人」は言わずと知れた故・三沢光晴さん。
人気絶頂の時に突如として引退してしまった初代タイガーマスク。そしてタイガーマスクの権利関係は全日本プロレスへ(原作者のカジワラ氏が全日本と懇意に)。
最初、G馬場さんは復帰した初代タイガー・佐山さんを全日本のリングに上げるつもりだったらしいのですが、「彼はギャラが高い。自前のタイガーマスクを作ってしまった方が安上がりですよ」との周囲の助言を受け、そのように。
当時の若いレスラーの中から白羽の矢が立ったのが三沢さん。
当時海外修行中の三沢さんは、馬場さんに国際電話で「コーナーポストに飛び乗れるか」と問われ、飛び乗れると答えたところ帰国するよう命じられました。
初代タイガーは、入場してくるとコーナーポストに飛び乗って、人差し指を突き上げるポーズが最初の見せ場でしたので、それをやれるかという事ですね。
帰国後、馬場さんに二代目タイガーマスクとなるよう命じられます。三沢さんはは佐山さんの初代タイガーの二番煎じであったことに抵抗を感じたようですが、すでに二代目タイガーマスクのデビュー戦のスケジュールは組まれていました。
二代目タイガーマスク時代は伸び悩んでいた感のあった三沢さん。何かにつけ初代と比較されてしまいますから…
1990年に天龍選手ら、大量の選手が全日本プロレスを離脱したため、残った選手による全日本マット活性化のために素顔に戻ることを決意し、
5月14日、東京体育館大会。タイガーマスク&川田利明VS谷津嘉章&サムソン冬木戦の試合中に、突如としてパートナーの川田選手にマスクの紐を外すよう指示…後頭部の紐を緩めてもらうと、自らの手でマスクを脱ぎ捨てました。
タイガー時代が「溜め」になったのか、素顔になってからは目覚ましい活躍を見せた三沢さん。
その功績は語り尽くせないものがありますね。
親分肌で面倒見が良かったようで、後に全日本から独立しノアを旗揚げする時は多くの選手、スタッフがついて行きました。
そういえば三沢さんに関しての「悪口」的な類の話は聞いたことがありませんね。
試合中リング禍で亡くなった時はショックでした…
きっと天国でプロレス界を見守ってくれていると思います。
三沢さんの入場曲、「スパルタンX」は大好きでiPhoneに入れてますよ~
ではでは。
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