初投稿です

只今、大阪旅行二日目の夜3時です。


今日は昼過ぎから難波で遊んだ後、夜は萩ノ茶屋駅へ移動し、西成の商店街を通って飛田新地へ行くことにしました。

最初から風俗店に入る気は一切無かったので時間潰し程度の軽いノリで駅を降りたものの、駅の異様な小ささと空気感にかなり恐怖を感じました。

駅を出て直ぐの西成商店街はスナックやカラオケバーが多く、60~70歳の男性が自転車中心に活動している様子でした。自転車に乗ったお爺さん何人かが僕達に対してピース✌🏼をして通り過ぎて行ったのが割と衝撃的でした。僕は意味がわからず少し怯えてしまったのですが、今思うと外国の方が旅行客に対して親しみを込めて挨拶するのと同じ感覚だったのかもしれません。

流石に暗い住宅街や警察署の方には行かなかったので 、商店街を歩いている限り特に危険な目に遭うこともありませんでした。この場所は大阪の一部というより「田舎の夜の街」という感じでした。所謂「昭和レトロ」ってヤツだと思います。

僕は昔から「昭和レトロ」に対して謎の不安感や恐怖心を抱いており、未だに悪夢に出てくる程苦手意識があります。理由は定かで無いのですが、現代社会に完全に馴染んだ自分が「昭和レトロ」と接触した際、その時代に生きていた場合の自分をリアルに想像してしまい、逃げ場の無い不安に陥るのだと思います。「昭和感」が苦手なのでは無く「時間という牢獄」が恐ろしいと感じてしまうのです。そもそも平成生まれの僕達はまだ懐古趣味の対象に成るモノが少なくノスタルジアへの理解が難しいのかもしれません。

それはさておき、危険は一応無いものの、異臭や独特な看板、尋常じゃない自転車の量など、異世界感溢れる不思議な商店街を抜けると至って普通の大きな車道がありました。

その道路を挟んだ右斜め前に「↑飛田新地料理組合」と書かれた看板があり、目的地が目前である事が分かりました。青になった信号を渡り、看板通りに進むと少し古い団地のような場所に辿り着きました。

僕達は「飛田新地」という言葉は知っていたものの見た目や仕組みについては殆ど何も知らなかった為、どこからが飛田新地なのか分からず、既に目的地に到着したと勘違いしてしまいました。普通の暗い団地のような場所に居た僕は、想像を遥かに下回る平凡な風景に若干落胆してしまいました。

しかし、そこから少し進むと数メートル先で看板と提灯が何個か光っているのが見えました。

そして更に進むとそれらの光と共に、二階建ての小さな木造建築が無数に並んでいるのが分かりました。

建物一階は白やピンクの光で眩しい程強く照らされており、のれんの奥には信じられないくらい美しい女性が座っていました。日常生活では殆ど目にしないような、芸能人レベルの美貌の女性ばかりでとても衝撃的でした。基本的にはその隣に座っている年配の女性が口頭で客引きを行い、主役の女性は真ん中に座り笑顔で此方に手を振るというスタイルがどの店でも徹底されていました。想定外の美しさと生々しさに圧倒されてしまい、最初は殆ど目を合わせられませんでした。興味本位で自ら進んでその場所を歩いているのに目を逸らし続けるのも明らかにおかしいと思い、途中から視線を向けるようにしましたが、先程の商店街とは別次元の異世界感に脳が追いつかず、どう反応するのが正解だったのか未だに分かりません。

念の為先に言っておくと、僕達はその場所に男3人で行き、友人の1人は最初からお店を利用する予定でした。とはいえ、全く行く気が無かった僕含む2人がやっている事は興味本位の冷やかし行為に該当するものであり、決して良い事ではありません。その点に対する罪悪感は常に大きく有りました。

そして罪悪感の次に襲いかかって来たのは空虚感でした。今の自分のジェンダー観やおカネに対する価値観、日本という国への理解、全てが一瞬で壊れた衝撃と虚しさは間違いなく過去最大級でした。

30~40分程度時間をかけて全体を3周すると、友人が気に入った「料亭」を見つけた為、僕達は少し離れた所から見送りをしました。そして直ぐにその場所を離れ、商店街の近くの花壇で腰を下ろして終わるのを待つことにしました。終始ほぼ無言だったもう1人の友人もやはり複雑な心境だったようで、僕らが抱いているこの感情が何なのか、30分間語り続けました。僕はあまりの情報量の多さに心が焦っており、いち早く整理して少しでも楽になりたかったのだと思います。自身と近いレベルの教養とセカイに対する関心を持っている友人が隣に居ることがこんなにも幸せなのだと気付かされる瞬間でもありました。

2人で心の内を語り合った結果、短時間で多くの認識を共有する事が出来ました。

先ず出た話は「可愛過ぎる」という事です。
正直、東京の夜遊びとは明らかに次元が違いました。服装も年齢も十人十色で僕らと同年代の女性も何人か居たと思います。軽い気持ちで散策に来た僕が混乱した1番の理由は「圧倒的な容姿」でした。それ故に、様々な面での生々しさと社会の虚しさがダイレクトに感じられたのだと思います。

そして「おカネの残酷さ」です。
おカネという概念、システム、重さ、全てを残酷に感じました。大変失礼な言い方ですが、就活前の今の時期にこの貴重な経験を出来たことは非常に重要だったと思います。彼女らの環境や事情は全く知りませんが、余程の事が無い限り間違いなく「おカネ」が絡んでいると思います。僕は就活においておカネへの重要度を序盤から軽くしていた為、一度最初から考え直してみようと思いました。「おカネは残酷」という事は今の自分の環境では絶対に気付けなかった事です。そしてこれは自分が大学生では無くなり、社会人になり、親になった時に高確率でぶつかる事実だと思います。「おカネの重要さ」では無く「おカネの残酷さ」としてもう一度0から考えてみる必要があると感じました。

そして最後に「何かがおかしい」という事です。
飛田新地は世界が違いました。あの光景は外国か遠い過去のものだと思っていました。正直今でも受け入れきれていない部分があります。郷に入っては郷に従えという言葉がありますが、あの場所にいると普通の基準が狂います。この令和の時代に巨大都市大阪に普通に存在しているあの場所は完全に異世界でした。異世界感というより異世界でした。男が女をモノとして選び、カネで買い、使用するという光景は最高にグロテスクで最高に異常でした。勿論、飛田新地以外の風俗も同じなのは百も承知ですし、根本的には日本全国変わらないと思います。今まで歌舞伎町やすすきのを歩いた事は何度かありますが、それでもあの飛田新地が1番狂気的で1番美しくて1番悲しい場所だと思いました。

グロテスクで、狂気的で、異常だったからこそ勉強になった事は山ほどあり、僕はまだ感情の20%も上手く言語化出来ていません。稚拙な自分の文章力と矛盾塗れの中途半端な感性に腹が立ちます。しかし、今日の経験と感動と反省は絶対に忘れられないものになるはずです。僕は今後これを社会と向き合う際の一つの視点として大切にしていきたいと思います。


ありがとうございました。