身体感覚を羅針盤に生きる -4ページ目

身体感覚を羅針盤に生きる

感じる力は、生きる力。
迷ったら身体に聴け。
あなたの身体の中にある答えを見つけ、潜在意識のブロックを超え、現実を動かす力に変える

昨晩は、断易風水の夢を見ました。

これで3回目。

初めて夢に見たときは吉凶判断の練習をしまくっていて、

ヒーヒー言っていて、

2回目の時はマスターっぽい人と、

若い茶色い髪の短い男性か女性かわからない人と3人でいて、

「この卦をどう読むか?」みたい感じで宿題を出された夢で、

昨晩は2回目と同じメンバーで

「宿題どうやって読み解いた?」みたいな話をしている夢でした。

わ〜、2回目の夢の続きだ!



しかもわたし宿題やっていなかったような・・・
(考えたけどわかんなかった的な・・・)

肝心な問いの内容や卦の中身は忘れてしまいましたすみません。

ただ六神に玄武があったのだけ覚えています。



初めて断易の夢を見た時は
「あ〜〜、夢に見るってことは潜在意識にもこれらの情報が馴染んできたのか〜〜〜」

と思っていたのですが、

2回目、3回目はあきらかに”あっちの世界”のゆめでした。

あちらの世界でも断易の勉強をしているわたし。

おもしろいな。


現実世界では、授業の内容の情報がますます増え、消化がなかなか追いつかない日々です。

少し前に私は

「誰も私を知らない頃に戻りたい。」

と感じたことがありました。



なので私は、これまでの私を全く知らない場所へゆき(高野山)、

肩書きや職歴にこだわらず、これまでの専門職とは全く関係ない仕事をし(宿坊の厨房のお手伝い)、

全く新しいコミュニティに属し(断易のなかま)、

たくさん自分に問うて、自分の直感がこれだと思う学びを始めました。(断易風水)

そしてその間はSNSは一切ふれず。

スマホからアプリを消すことはしなかったけど、一番後ろのページに持ってきて

アクセスするのに面倒な設計にしました。


すごく身軽さを感じたのと、

どこにいても結局私は私なんだと感じました。


オンラインの顔はいつのまに「わたしはこんな人なのよ」というペルソナを作っていた気がします。(そういう戦略としてもコントロールできるけど)
だから「こんな人」というデータが少し古くなっても、どうしてもその少し過去の自分に縛られてしまう。
そうやって自分を不自由にする。(見方によっては、です)


また、”過去の延長線上にある自分”から離れた生活をしてみましたが、
結局のところ”わたしはわたし”でした。

そこで他人を通して見せられていたものは「自信のない自分」や「過去にこだわる自分」だったのでした。
見せられている事象に反応せず、ただみるだけ、をしたら「見せられ劇場」終了し、
他人のエネルギーアタックにやられてしまった先輩のエネルギー調整をする、という
これまでやっていたことと結局変わらないことをしている自分がいました。
何かの肩書きを持つわけでもなく、これは私がやることのひとつ。ただそれだけ。


これまでのSNSを全て消すのもありだな、と思っています。
刷新し続けられる自分の枷になっているような気がするので。

結局のところ、私は自由だし
いつでもどこにいても結局本質は変わらないもの。

そんな大切なことに、この3ヶ月間の生活で気づかせてもらいました。

6月の講座が終わって、量より質な練習を日々しております。

それで気付いたのは、例えば誰かと練習した後は思いっきり疲れてしまい、

気絶するように昼寝をしてしまうこと。


私の中で、こんな眠気に襲われるときは「updateが順調に進んでいますよ」の意味。

特にこんなふうに目に見えない世界のことを学ぶ時のupdateの際にこんなふうになります。

10〜15分くらい眠るとスッキリです。


中身がどれだけ進化しても、肉体がある存在。

なので ”からだになじむ” という感覚はとっても大事だなと思っています。


先に進化した目に見えないボディに追いつくために、肉体が一生懸命updateしようとしているのを感じます。

目に見えない世界の学びには昼寝は必須ですね!

2回目の講座で吉凶判断ができるようになりました。

そして日々、吉凶判断をしていると物足りなくなっていきました。

「吉凶しか分からねぇ・・・!」と。(あたりまえ)



なので、吉凶から一歩踏み込んだ読みができるようになりたいわけです。

それで3回目の講座では一歩踏み込んだ内容を読めるようなヒントを学びました。

そして今度は卦の意味が読めるほど自分に語彙がないことに気がつきました・・・。

「吉凶判断はできる。卦の中での敵味方の相関関係もわかる。でもなにが具体的にサポートになって何が具体的に障害になるのか分からないよう〜〜〜」

といって、これまで授業でやった占例の中にヒントがないか血眼で探すわけです。

卦の読み取りでは、五行(木・火・土・金・水)や十二支(千支)などがそれぞれ色々な意味をもっており、

それを私たちが拾いつないで、読み取りというストーリーを作っていくのです。

過去の占例を振り返り、ヒントを血眼で探してもうすぐ1ヶ月が経ちます。

でも最初から「それぞれの意味集」みたいのをもらっていたらきっとこんなふうに少ないヒントの中から必死で読み取ろうとすることなんてなかったんだろうなと思います。

1ヶ月早いです。

授業のノートをまとめ直し、クラスメイトとオンラインで練習して、自分でも練習してみて、最近では周りの人にも練習相手になってもらって、、、そんなんで日々が過ぎてゆきます。

 

吉凶判断ができるようになって、おもしろくて、何か選択肢が目の前に現れたときは吉凶判断をやっていました。



2回目の講座が終わって、3回目の講座が始まるまでの間で約100ケース、気がついたら吉凶判断していました。



結果がすぐわかる方が良いと思い、よくやっていたのは「今夜の賄いはわたしのとって吉ですか?」という問い。



あとは夏以降の仕事探しもしていたので、求人を見つけたら、「この仕事に応募することは私にとって吉ですか?」と聞きまくっていました。



それでやってみてわかったこと。

それは「量は質を生む」ということです。

賄いの内容など、まぁけっこうどちらでも良いような内容は当たったか当たらなかったか正直よくわからない結果によくなっていました。

比較的どうでもいいような質問と、ちゃんと聞いた方が良い質問と、自分の中で感覚的住み分けができるようになった感じです。




「ともかく1000本ノックだ!!」

と思ってやってみて、出た卦を空間エネルギーに当てはめて吉凶判断するスピードはものすごくつきました。

出た卦もこれまではただの棒にしか見えなかったものが、脊髄反射で何を表している棒かわかるようになりました。

でも次の1ヶ月の間に、自分のことを100回占うことはもうしなくていい、と思いました。

もうザコ問いを問うようなことはないでしょう。

今度は質を上げる番。

今度の1ヶ月は量をこなすよりも、ひとつの卦としっかり向き合って易の神様が何を教えてくれているのかにしっかり耳を傾けたいと思います。