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今までのストーリーはコチラ↓

ダイヤモンド第1話 Yuzuストーリー 〜私、このような親の元にやってきました〜

ダイヤモンド第2話 Yuzuストーリー ~〇〇両親と冷めたわたし~

ダイヤモンド第3話 Yuzu ストーリー~小学生のときは〇〇に癒されて頑張れた~

 
 
 
 
前回のブログにも書きましたが
 
夜も落ち着かない日々と
将来の幸せのために、と言われながら
興味のない活動に押し出すように
変わらず連れていかれていました。
 
 
 
 
 
 
子供の頃は
自己表現がほんとできなくて滝汗
 
 
 
 
 
低学年の頃、学校で自由なテーマで
絵を描いたときに大きな画用紙に
うっすい色でよくわからないものを
真ん中に小さくしか描けなくて
母が学校に呼び出されたり
 
 
 
 
 
感想文とかもクラスの中で
最後になっても書けなくて、、
ほんと「表現」が苦痛だったえーん
 
 
 
 
 
今になって思えば赤毛のアンのように
頭の中は自由なのだから
空想の世界を楽しんでいたら
もう少し明るく過ごせた気もしますが
そんな気力もありませんでしたガーン
 
 
 
 
自分が発する言葉や行動は
周りを意識していることなので
 
 
 
 
自分の中から湧き上がってくるものは
自分の力で思い切り蓋しています。
 
 
 
 
 
なので、学校の授業で
表現する時間となると
その蓋を開けることになり、、、
それはできないので
苦しむ、、というスパイラルうずまき
 
 
 
 
 
なので
楽しくのびのびと話している人や
表現している人の姿は憧れでした。
 
 
 
 
言葉
声  カラオケ
アート
 
 
 
 
 
これは自分には諦めるものだと
決めつけていました。。。
 
 
 
 
 
中学生では
同じ制服を着て校則に縛られて
通学路に沿って往復すること
 
 
 
 
 
変わりのない家にいるのも辛かったですが
夜遊びをする道には進みませんでした(笑)
 
 
 
 
 
テレビでそのような人たちを
特集した番組って時々ありますよね?
 
 
 
 
 
それを観て、
「道を戻すことは大変だから流されない。
自分の人生を棒に振ることはしない。」
と決めていました。
 
 
 
その中で新鮮な風を運んでくれたのが
 
英語
 
授業はつまらなかったけど
(だからこそ!?)
自分から情報を求めて動くようになっていました。
 
 
 
 
 
同じ肌の色の人たちと
同じ言語だけで過ごすことだけで
みんな満足してるの?
私は無理ー!チーン
 
 
 
 
 
という気持ちが強くなるばかり(笑)
 
 
 
 
 
ただ、
「お金が入ったと思ったらすぐに出ていっちゃう」えーん
肩を落として話す母の姿を見ていたので
海外に行きたいとは言えず。
 
 
 
 
 
そんなモヤモヤな気持ちを抱えて
高校生になります。
 
 
 
 
 
不思議な縁で仲良くなった友達は
元気いっぱい女子。
楽しい話で笑わせてくれてました。
私は彼女のツッコミで知ったのですが、、
笑顔で肩も動かして笑うのに
声を出してなかったんですびっくり
 
 
 
 
 
「そんなに笑ってるなら
声も出せばいいじゃん」
 
 
 
 
 
最初、言われたときに
何のことだけわからず真顔
 
 
 
 
笑った時の自分の
一瞬意識して観察してみると、、、
 
 
 
 
 
 
あっ。ほんとだ
わたし声出してない、、、笑い泣き
 
 
 
 
 
と気づき
それから笑うときの様子がきっかけで
コミュニケーションとるときの自分が
どんな感じだったのか
少しの期間観察するようにしたら
ほんと声出てないポーン
 
 
 
 
 
以前から
大勢の中だと声が通らないし
前回のストーリーに書いた
言葉が刃物になることに恐怖心もあったので
話すことへの壁は相変わらずありました。
 
 
 
 
 
高校の同じグループの子から
おもしろいテレビ番組を紹介されて
家で観るようになって笑うことも。
 
 
 
 
 
母から「あなたの笑い声が
きけるようになってよかった」
と言われたときも
「私、ほんとに笑ってなかったんだ」
驚きました笑い泣き
 
 
 
 
 
こうやって
少しずつ変化があった高校生活。
 
 
 
 
恋愛程度とも言えるのですが
母親からのしがらみをすり抜けてでも
行動する気力はなかったので
恋愛は憧れの人がいる程度でした(笑)
 
 
 
 
 
 
大学の進路を決めるとき
父からは
「理系じゃないと学費は出さない」
と言われ、、、
 
 
 
 
 
小さい頃から顔を合わせる
母の友人たちや母から
「女の人は資格を持つべき。
自分で収入を得られるようにすること。」
と言われた影響で
一応そのような学科を選びましたがどれにも
一切興味は湧きませんでした。。。
 
 
 
 
 
職業図鑑みたいなものを
読むほど
 
 
 
 
 
同じレールを歩く感じが
つまらなくてしかたなかったですもやもや
 
 
 
 
 
「まだこの世にないことをして
収入ってもらえないものか」札束
考えましたが具体的に
動けなかったけど(笑)
 
 
 
 
 
現役では妥協しない学校だけ受験し
その結果、、、浪人することに。
 
 
 
 
 
静かに浪人生活を過ごし
受験校を決める段階で塾の先生から
滑り止め受験は不要ウインク、と言われて
スケジュールたてたら
 
 
 
 
 
受験2日前からインフルエンザ笑い泣き
受験は連日だったので惨敗〜
 
 
 
 
 
表立って反抗しなかったけど
これで資格に縛られる選択からは
解放されたー、と拍手
気持ちが軽くなったのは覚えていますゲラゲラ
 
 
 
 
 
じゃ、春からどうする??
 
 
 
 
 
二浪の気力はゼロ。
海外留学したいと話したものの
即却下されたので
二次募集で自宅から通える範囲で
二校受験してどちらも合格。
もちろんどちらも興味ないので、、、、、
比較して学費が安く近い大学に。
 
 
 
 
私はこのような安易な動機でしたが
父からするとその学科の方が
社会に出てから選択肢が広いと
納得していました。
 
 
 
 
 
珍しく親らしい意見を言ってくれた
機会でもありました。
 
 
 
 
 
 
 

大学生活は

本業は勉学であると心得ながらも
学びを楽しめているわけでは
ありませんでした。
 
 
 
 
 
 
ある日のこと。
宇多田ヒカルさんがデビューしたとき
メディアがたくさん取り上げられていたのを
覚えている方もいるかと思います。
 
 
 
 
 
私はその映像をテレビで観た瞬間
涙が止まらなくなって
その場で動けなくなったこともありました。
(なんで私はこんな場所にいるんだろう、、
私はなにやってるんだろう、、という
気持ちになってました)
 
 
 
 
 
今思うと、
私はいろいろおさえこんでいたので
年下の宇多田ヒカルさんが
自分の感性を表現して
作品を世に出しているという姿
強い憧れを感じたのかもお願い
 
 
 
 
 
小中高は
価値観で縛られることに
疲れていましたが
 
 
 
 
 
大学になると
一人暮らしに
憧れるようになりました。
 
 
 
 
 
 
 
ちょっと話が戻りますが
 
親のことから書き始めました。
 
 
 
その理由は
 
 
○○
 
 
というものが関係するから。
 
 
 
 
この答えは
 
 
 
 
 
癒着
 
 
 
 
 
そう、ずっと
親の子に対する癒着にも
悩んでました。
 
 
 
 
 
 
両親ともに
寂しい思いをして過ごしているので
自分の子供たちは
そばにおいておきたいという
気持ちがとても強かったですし
直接そういわれていて
重荷にもなっていました。。
 
 
 
 
 
一人暮らしの話は
お金のことを考えても
切り出せなかったですが
 
 
 
 
 
 
 
両親や周りの人からは
ニュースで
一人暮らしの女性の
悲しい事件が流れると
 
 
 
 
 
 
それをもとに
「お前は一人暮らしをしないように」
とも常々言われていました。
 
 
 
 
 
 
自分たちが寂しい
ということを言う以外に
あれこれ理由をつけて
そばにいさせるように
していました。
 
 
 
 
 
大学生になって
海外へワーホリとか短期旅行を
したいと話しても
心配だからとの理由で却下され、、、
 
 
 
 
 
 
母が所属する団体の活動に
引っ張り出され
いやいや行くことが続いていました。
 
 
 
 
 
その中で信〇〇教へ
二ヶ月に一回くらいのペースで
開催される勉強会があり
参加するよう声がかかりました。
 
 
 
 
 
小学生のときに
いやいや連れて行かれた
ときのことを思い出し
気持ちが暗くなりましたし
 
 
 
 
 
 
話があった頃も
勝手に気をつかってしまうので
集団で過ごすのは疲れるし
活動にも興味ないので
断固拒否してましたが、、、
 
 
 
 
 
なんということかびっくり
全行程参加したメンバーには
最後に海外に行く機会があるとのこと。
 
 
 
 
 
親は、ここの人たちと海外に行くのは
安心だからそれなら行っていいと
言ったのです。
 
 
 
 
 
こんな取引きか、、チーン
かなり悩みました。
 
 
 
 
 
 
でも、このままずーっと日本だけで
暮らしていくのか、、と思うと
それも苦痛でしたもやもや
 
 
 
 
 
 
 
集団で過ごすのは辛いけれど
数回を我慢すれば
日本を出られるチャンスだから、と
受けることに。
 
 
 
 
 
勉強会が近くなると
気が重くなったり
葛藤もありましたが
最初に立てた目標のために
頑張って達成しました音符
 
 
 
 
 
離陸したときの解放感
着陸するときのワクワク感
街を歩いているとき
五感がフルに働いていたのを
よく覚えてますお願い
 
 
 
 
新鮮でほんとよかった!
 
 
 
 
 
 
私はこの団体の中で
ぽつんとしていましたが
自分より年下の子が
ぽつんとしてると
私と同じように
いやいや連られているのかな、と
察して声をかけることもあり
 
 
 
 
 
それがきっかけで
表面ではわからない
学校、家族、自分自身のこと、、
たくさんの悩みを
聞くようになりました。
 
 
この経験は、後々の自分に
影響をもたらします。
 
 
 
そのようなご苦労された話
ドラマでも観たことない、と
驚くものも多く
 
 
 
 
みんなそれぞれ
大変な思いをして
生きてるんだな、と
大学生の頃には、
より強く感じるようになりました。
 
 
 
 
 
 
(どんな場所でも
自分の気持ちと行動次第で
自分の気分を
明るくさせてあげられる、
と、強く思えるようになったのは
ここの経験が大きかったと思います。
 
 
 
 
 
いやいや連れて来られても
嫌な気持ち、暗い気持ちで
過ごすだけじゃ
もったいないですもんおいで
 
 
 
 
 
どんな場所でも
ボランティアのようなことは
できますよねキラキラ
 
 
 
 
 
 
 
決して自ら望んでいないですが
今までのストーリーにも書いてきた
“いいこと貯金”をしてほしいという
母や周りの人たちのおしで
10人に満たない程度ですが
大学生をまとめるなどの
経験もするまでになっちゃいました。
 
 
 
 
 
とくに、周りの人は
我が家の状況も知っていたし
私の身体が強い方ではなかったから
人のために動いて“いいこと貯金”
して欲しかったようです。
 
 
 
 
 
人をまとめるとか言っても
私のタイプは
元気パワーで人を惹きつけるわけでもなく
一人ひとりに寄り添う感じ。
 
 
 
 
 
ですが、大学生の頃って
ノリ&楽しさって大切だから
いろんなタイプがいると相性も
関係してくるから
まとめるのは
楽なものではなかったです〜。
 
 
 
 
 
「いろんな人がいるからこそ
人間関係の勉強になるし
自分の成長に必要な人が
目の前にあらわれるもの」
とかよく聞いていたので
経験の一つとして
割り切って過ごしてました真顔
 
 
 
 
 
ここまでで
活動のこと中心に書きましたが
本業は大学生。
 
 
 
 
学びには
相変わらずハッとする感動もなく
この先、どうしよう、と
考えることが増えていきました。
 
 
 
 
 
 
スタバの二階から
目の前にあるお花屋さんや
道行く人を眺めながら
これからどーしよー、と
考えていた頃が懐かしいウシシ
 
 
 
 
 
大学は四年の卒業テーマになって
やっと少し興味が持てそうなものと
出会うことに拍手
 
 
 
 
 
ころころ女性は大学出てすぐ働くと
言われていましたが
もともと
レールの上を歩くことが嫌なことと
この学科で興味を持てた
自分への驚きもあり
修士課程に進むことを相談。
 
 
 
 
 
修士まで進んだら就職も大変だと
母から反対されましたが
母がお世話になっている人が
応援してくれたので母は納得し
無事に進学できました。
 
 
 
 
約束どおり一度
海外に行くことができた私は
満足してその後の新〇〇教は
ポツポツとつながる程度に
したかったけど
そう簡単にもいきませんでしたがアセアセ
 
 
 
 
 
 
学業と
人のために動くことで
自分のことは横に置いとく
というサイクルで学生生活が
終わります。
 
 
 
 
 
大変だったけど
ようやく学業でも
悔いなくやり切った!、と思えて
修士で卒業し社会人になります。
 
 
 
 
 
 
そして、いろんな経験を
重ねるうちに
思考は現実化することを
体験するこが起きます〜。
 
 
 
 
 
 
今日はここまで!
では、またウインク