「ネガティブ・ケイパビリティ」とは

世の中に数多ある、不条理なことや解決法が見えない困難なことに対して、諦めたり、安易な解決法に飛びついたりせずに、未解決の問題を抱えた宙ぶらりんの状態を持ちこたえながら前向きに生きるのに必要な力

 

のことです。

 

私が、この言葉に出会った時に、これが私の求めていた力だ、発見した気持ちになりました。

精神科医や子育てとの両立などといったをやっていると、まさに、「不条理なこと、解決法が見えない困難さ」を抱えた事例や状況に度々出会います。

 

精神医療は、対症療法的に、内服を処方したりして、その人の課題を乗り越えやすくするようなサポート(マラソンで言うと、伴走車のようなものだと思っています)をすることはできますが、根本治療は、患者さんそのものの成長次第な所も大きく、そもそもが本人の問題というよりは、社会問題であることも多いので、

精神科医療は、所詮ひとつのシステムに過ぎなくて、患者さん自身がそのシステムで得られるサポートをうまく利用して、乗り越えていく手伝いをしているだけなので、効果は限定的なものだと思っています。医学というよりも社会学的な要素が強い分野なのではないかと思います。勿論、薬物療法も、精神療法も、そのた心理療法、デイサービスなども、効果のある方に医療サービスを利用してもらうことは有益なことなので、限定的ではあるものの必要性はあると思っていますが、

医療サービスを受ければ、全てが万事解決というほど、人の人生における課題は甘いものではないとも思います。

 

子育ても同じで、何か困難さがあったときに、保育園の先生や学校の先生に、何かアドバイスを受けて、親の何かが変わるといったようなことはあるかもしれませんが、親が子育てを放棄して、先生に任せても解決することはほとんどないように思います。

ケアというのは、それだけ大変で、答えの見えない(そもそも正しい答えなんてない)分野であると思います。

 

そんなときに出会ったのが、

・「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」著:箒木蓬生(ははきぎほうせい)さん

著者も精神科医であることもあり、私と同じように精神医学を感じ、『米国精神医学雑誌』から、詩人であるジョン・キーツというかたの論文を見つけます。キーツが初めて口にした「ネガティブ・ケイパビリティ」について、こう記しています。

・目の前に、わけのわからないもの、不可思議なもの、嫌なものが放置されていると、脳は落ち着かず、困惑状態になる。それを回避するために、なんとか「分かろう」としてノウハウやハウツーなどが歓迎され、究極マニュアル化しようとする。ヒトの脳が悩まなくてすむように、マニュアルは考案されているものである。

・私たちは、学校教育や職業訓練で、問題を的確かつ迅速に対処する能力を養成されます。(ポジティブ・ケイパビリティ)。しかし、ネガティブ・ケイパビリティはその裏返しの能力で、論理を離れた、どのようにも決められない、宙ぶらりんの状態を回避せず、耐え抜く能力である。

・ヒトを含めた自然と対峙したとき、今は理解できない事柄でも、不可思議さや神秘に対して拙速に解決策を見出すのではなく、興味を抱いてその宙吊りの状態を耐えることしか、ヒトと自然の深い理解に行きつく方法はない。

 

精神医療も、子育ても、ヒトという自然を相手にするとき、「ああすればこうなる」という考え方は危険だと思います。他人は自分の思いどおりにはなりません。コントロールできないものを、コントロールしようとすると、苦悩が生まれると、そう思います。

 

・身の上相談には、解決法を見つけようにも見つからない、手のつけどころのない悩みが多く含まれている。主治医としては、その宙ぶらりんの状態をそのまま保持し、間に合わせの解決で帳尻を合わせず、じっと耐え続けていくしかない。

・誰も観てない所で苦労するのは辛いもの。誰か自分の苦労を知って見ている所なら、案外苦労に耐えられる。患者さんも同じで、あなたの苦労はこの私がちゃんと知っていますという主治医がいると、耐え続ける。

 

とも述べています。子育ても同じだと思います。子供が辛い思いをしていると、なんとかしてあげたいと思うのが、親心。でも、子供の課題を親がやってしまうのでは、子供は学ばないでしょうし、自力で乗り越えようとしているところに口を出されたら、やる気がなくなってしまうかもしれません。じっと、子供の苦労を見ていて、耐え続けることも必要なように感じます。一方で、無視してしまうと、それはそれで見捨てられたという感情にもなりそうですから、結局、「バランス」なのかもしれません。だからこそ難しいんですよね。

 

具体的で現実的な問題解決能力もやはり必要だと思う一方で、方法論ではうまくいかない、どうすることもできない問題については「ネガティブ・ケイパビリティ」の力で、じっと耐え抜く、ここでもバランスが必要なんだな、と感じます。ネガティブ・ケイパビリティは、仏教でいうと、諸行無常に近い考え方だなと思います。