言霊 言霊学・コトタマノマナビからの抜粋です
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人間は言葉で生きている。
言葉が純粋化された言霊で生きている。そして、その言葉乃至言霊というのは何処あるのか。ハッキリ申し上げます、今此処。私が死にますと、私を知っている方、又は知らない方の人の心の今此処、明日でもない、昨日でもない、常なる今此処。
人間が何をしようかと思っているその今此処にある、永遠にある。人間は死なない、どんなにつまんない一生を送ったとしても、又、生まれて間もなく事故で死んでしまったとしても。
生まれてから事故に遭うまで「オギャー、オギャー」と泣いた言葉と、事故で死んでしまった実相を経験した人間として生まれた赤ちゃんは、たったそれだけでも自分が生きた証を人類に伝えている。
それが人間の一番尊いところです。良い事をしようが、悪い事をしようが、ちゃんと生きている。その証明の一つとして、それを「NO」と言った時にどう反発して出てくるか、ご自分でお遣りになればよく分かります。
子供の悪戯に対して「ダメだ!」と言う言葉の中に、過去において自分が何かうまくいかなった経験からイライラした記憶の経験知が、自分の頭のなかに入っていて、即座に自分を動かしてしまう。
そういう経験知を「私じゃない、私じゃない」と切っていく。南無阿弥陀仏で言えば「こんなに儲かったから有難い」、「あの人に出会って有難い」、そういう条件も有難いけれど此処にこうやっていられることを「有難い」と思おうとし、又、思おうとしても「明日は借金の返済をしなければ」なんてことを考え、それでも「有難い」と思いたい。
ところが心から思いたいと思えない、何故思えないのか、それが経験知。それも「有難い」と思えば、ある意味信仰ですが、「有難い」と手を合わせていきますと無条件に涙がポロポロ流れてくる、なんでこんなに有難いのだろう。
そう思えた時、座禅を組んでいて、今まで色んなことがあった「色即是空」、実感のないものだった、豊臣秀吉が言ったように「浪花のことは夢のまた夢」と言って死んでいった。
あんな高層なお城を造って、地下には今なら何兆円の金塊が積んであった。「これを徳川にあげるから子供の秀頼は助けてくれ」と家康に懇願したら、家康ははねつけて膨大な金を燃やしてしまった。
そういう色んな思いが心に何も起こらない時、宇宙に帰る、オギャーと生まれた時に帰る。オギャーと生まれた時は何の知識も持っていませんから何も考えない、それは宇宙が目をつぶっていた。
大人になるまでの色んな経験知を切っていき、まっさらに帰る。ある意味、経験知をたくさん付けていながらに本体がまっさらになる。
人間の心は五次元(ウオアエイ)の宇宙に住んでいます。五重塔はそれを表わしています、経験知はウとオ。志望校に入れた、親は手放しで喜んでくれた、親に孝行することが最も大切なこと、孝行より優るものはない・・・経験知がそう思わせる。
この考えは知識であって自分自身じゃない、この知識は他から借りたものなんだと否定しますと、ダァ~ッと広い宇宙に帰る。何もない広い々々宇宙、果てしがない。と同時にため息がフゥ~と出て、心配事が全部なくなる。
そうなると、体の力が抜けて、矢でも鉄砲でも持って来い、首を斬るならどうぞ、借金取り?そういうのいたな。家のかみさんにそんなこと言ったら怒られますが、一人ですからそのように思う。かみさんが別人のように見えると同時にかみさんも神ということも分かる。
その時、天の御柱が立つ。禅で謂う「両頭を裁断すれば一天、剣によって寒し」、「あぁしよう、こうしよう」の両頭をズバーッと切ってしまえば、天に剣が立ち、この判断力をして事を行えばすべてがうまくいく。
この姿がお不動様、動かない。宇宙ですから動かない。今の天文学からしますと宇宙も膨張していると言いますが、膨張しても動かない。人間も成長しても動かない。宇宙の理を説いております原理ですから、此処にいれば宇宙です、あっちの宇宙、こっちの宇宙はないのです。
自分が経験し色んな人と交わった言葉を「ウ」と「オ」で判断しますと煩わしい。それらを「ア」で判断しますと調和そのもの。あいつに殴られて痛かったけど、殴られて反省することが出来た、有難いことだった。総ては合理的だったと思う「初地の仏」。
阿闍梨、仏教の謂う「ア」の悟り。ですが、この悟りは一個人の悟り、対人間であれば自由自在に生きられる。人間の性能として後「エ」と「イ」が残っている、ということは「ア」の悟りでは世界の一員としては不十分。
混迷している世界、戦争ばかりしている世界、どうやったら争いやテロをなくせるのか。人類が協力して楽しく暮す条件としては送れるはずではないか。先進国の戦費を後進国の福祉に使えば事足りる、貧困に限れば。
どうしてそうしないのか、「ウ」と「オ」の世の中ですから「嫌だ」と言っても、又闘わなくてはならなくなる、「ア」の安心の境地に立てたのにもぐら叩きと同じ。グリーンピースのように抗議の船を出す。何度も捕まって、又、抗議する。
意志表示としては無駄とは思いませんが、世の中を直すことは出来ません。アメリカなんかは理論的核実験というものをやりだした、これは爆発させないですから抗議のしようがない。
アは空ですから向こうには行けない、その向こうに何があるのか、「エ」と「イ」の知性が残されている。ではどうすれば向こうへ探求できるのか。それには今此処に帰る。今此処の現象をジーっと観、推理し、「エ」と「イ」に結び付けなくてはならない。
言霊の原理に則りますと今此処の流れから「あ、七八分くらいいったかな」と構造が分かってきます。そうしますとウオアエイの柱が成立する。この時には人間一人の生活だけではなくて、全人類の生活がいとも合理的であって、これ以上の有り様はないと知ります。
こんなにテロ、貧困、戦争の多い世の中も「イ」の次元から観ますと、素晴らしい世界を創造するために避けては通れない過程なんだ、混迷している世の中にあって人間が悲しい思いをたくさん経験したことが、未来へ全部活きている。
ということはもっと重大になってきます。永遠に通じている人間が生まれて此の方、したこと、言ったことの総合が今の人類に受け継がれている。それ等を統合し、合理的だと判断できる立場が実現したということになる。
これこそ神、これ以上の仏はいません。この立場を「天津日嗣天皇(アマツヒツギスメラミコト)」と申します。その天皇は二千年前には実存していましたが、今、実存する時代が来たということが出来ます。
今までの話をまとめますと、言葉は生命(イの道)、イ・キ・ル、イ気る、「ル」は活動する意味の子音ですから、総ての人間は神の子、仏の子であって、人類の使命を負わない人は誰一人としていないことが「イ」の次元で初めて分かる。
総ての言葉を統べる、統合した言葉を断ち切り、沙庭し、今度は連(つ)るみ、明日を創っていく。それが将来スメラミコトと言われる人の務めであり、それを補佐する政治の長の仕事ということになります。(タカマハラナヤサ)
この二千年間、色んな事で不幸に亡くなった方も、すべての人間の営みは、人類の将来を創るために立派なミコトとして働いたということになります。歓喜の世の中がすぐ目の前に、そんなに時間はかかりません。
私は寿命に限りがありますから見ることはできないでしょうが、二十年、三十年後にはそういう世界が来る、その時、人類は地球上の歴史からもっと大きな宇宙の歴史へと舞台を移すことになります。
んで、とにかく、「ありがたい」と何が何でも「ありがたい」で進もうとしております。
