短い余命が宣告された義父の闘病は
残念ながら
決して 円満ではありませんでした
義父を大切に思う気持ちはみんな一緒だったはずですが、方向性が違いました
結果的に 方向性の違いで 義父の QOL(クオリティ オブ ライフ)は 守れませんでした
私も 病気と共存しています
自分自身のQOLを守るには、自分で知っておかなきゃいけないと 義父の死を通して
改めて感じました
自分の意思をきちんと 周りに伝えることで 防げる争いもあると思いました
基本的に、患者本人が投げやりになっていない場合は、
治療法や いろんな民間療法などは 患者本人に伝えてもいいけど、無理強いはいけない。
治療法を選ぶのは、患者本人。
「○○(患者)のために」って言葉は 偽善が含まれていることも。
今回、義父の実の妹が その例です。
夫と私が提案した「義父のQOLを第一に」っていう意見を
義父の妹は、頭ごなしにバカにしました
「ちゅんたちは、ホント バカだわ
兄(義父)のために 強い抗がん剤をしなさい。
兄のために 死ぬ準備をさせなきゃいけないから、余命をつたえろ」
そんな要求をしました。
夫や私たちは、
義父は終わりのない抗がん剤治療をしていかなきゃいけないから、無理のない範囲の治療で、
旅行したり
おいしいものたべたり
趣味の時間を大切にしたり
義父と義母にとって幸せな時間を残したいと考えていました。
義父の妹のいう「義父のために」って言葉は、
実際は、義父のためにって言葉でごまかした自分たちの意見のおしつけだと私は思っています。
「義父のために強い抗がん剤をしろ」っていうのは、
『抗がん剤』で 一日でも長く生きてほしいという義父の妹の願いであって、
義父の副作用などの苦しみは考えていない。
それに必ずしも抗がん剤が延命とは 限らない。
「義父のために余命を伝えろ」っていうのは、
あと「10年生きる」と口にしている義父にどう接していいかつらいから、私が(義父の妹が)困らないようにしてちょうだい ってことでした。
義父の妹が「兄のため(義父のため)」って 口にしていたことは、
義父の妹自身が困らないためにってことばかりでした。
とても 厳しい内容の記事をこれから書きますが
義母は、義父が 「眠るように痛がらずに苦しまずに逝った」
と言っていますが
看護師や 夫や 私は 「相当な痛みと苦しみがあってつらかった中での旅立ち」
と 認識しています。
義母が「義父のため」と 最期の 緩和ケアの方法を選択しましたが
決して「義父」のためではなく 「義母」のための緩和ケアでした。
言葉がしゃべれなくなっていた義父は、最期の最期まで 痛みと苦しみに身を置きました
義父の最期の様子を ありのままに伝える
かなり きつい 記事をアップします
最期の 緩和の方法は 患者の希望が尊重されるべきだと 考えています
病気でない方も
今のうちに 自分の最期の過ごし方を 家族に伝えて
自分も 家族にとっても 苦しくない最期の緩和を選択してほしいと思います