世界的なラリードライバー、篠塚建次郎さんが、長野県諏訪市の病院で膵臓がんのため亡くなりました。75歳でした。

1986年からアフリカを主な舞台に開かれていた世界で最も過酷と言われるラリー「パリ・ダカール・ラリー」に参戦し、1997年には、日本人初の総合優勝を果たしました。

 

当時、私がモータースポーツに熱中し始めたころ(1986年ごろ)日本車は頑張ってました。
でもドライバーは・・・
F1初の日本人レギュラードライバー中島悟。
ル・マン24時間レースに挑む様々な日本人ドライバー。
その中でも、ラリー(WRC)に関してはヨーロッパ勢が人もクルマも圧倒的に強かったです。
のちにトヨタセリカ、ランサーエヴォリューション、スバルインプレッサなど日本車がタイトル争いする時代が来ます。

でも、ドライバーは欧州、北欧の人が中心・・・
そんな中、パリ~ダカ-ルのような過酷なサバイバルラリーに挑み続けた三菱自動車と篠塚健次郎。

ついにヨーロッパの牙城を崩し、ジャパンが世界を制します。
篠塚氏はWRCでも勝利しています。

私は篠塚選手の優勝に感動し、ガッツポーズしましたが、当時ニュースではあんまり取り上げられませんでした。そのうちパリダカの勝者は三菱パジェロが常連となりました。

 

実は私、パジェロのV6ショートボディーに乗っていた時期があります。

競技とは無縁で完全街乗り仕様!
燃費は悪かったけど、いろんなところに行きました。
いろんなチャレンジもしました。急坂や砂地、川横断など。

話が逸れてしまいましたが、篠塚健次郎氏には個人的にですが「国民栄誉賞」を上げたいです。