『普通でなくても良い。』
相変わらず、うちの次女は不登校真っ只中です。
母親としてはもう少しやるべき事があるのかも知れないけれど…
私自身、なかなかの不登校児でした。
父親が大変厳しい人だったので毎日がしんどかった…私は少し変わった子どもだったので父親の要求に答える事が難しかった…父はよく
『普通にしてくれ❗』『普通でいいんだから❗』と私によく言っていました。『普通に…』『普通に…』
『それが一番しんどい私はどうしたら良い…』
私は友達をつくるのが苦手で学校の教室に入って黒板をじっと見るのが苦手で、途中からどんどん授業に集中出来なくなり黒板を見ながら頭の中は妄想の世界に入って行く…
イルカに乗ってる日もあれば、暴れ馬に華麗に飛び乗っていた日もあった…勉強も得意と不得意が極端で、国語で100点とったとしても算数で0点だったりする。
父親その答案を見て鬼のような形相。
しかし塾に行きたいと言っても行かせてもらえない。普通にしてれば出来るはずなのだから出来ないのは私が普通に出来ていない証拠だそうだ…
私はだんだん学校に行かなくなった。
両親は毎朝子ども達より先に仕事に行く。
私は両親が仕事に行くまでは家では制服でいる、両親が仕事に出ると制服を小さく小さくたたんで学校用に使っていたサブバックに制服を押し込んで、私は私服に着替えて制服入りのサブバックを肩からかけて家を出る。
家にいると物音で隣近所のおばちゃんが尋ねてきてもいけないし、家の電器がついてるとセールスとかきても面倒だし。
よく行っていたのは家から歩いて15分程の大きな公園、路上生活している人の昼間のたまり場みたいになっていておじいちゃんとおばあちゃんの路上生活者がいた。
おじいちゃんとおばあちゃんは身なりからかスーパーに入りにくいらしく、私にいくらかの小銭を渡して私にお使いに行かせるのが日課だった。
だけどそんな苦しい生活の中でおじいちゃんとおばあちゃんは私のお昼ご飯も買うようにと毎日言ってくれる。私はこのおじいちゃんとおばあちゃんが好きだった。
夕方が近づくと別れ際、頭を撫でてくれてにっこり笑ってくれる。
普通じゃない私に優しくしてくれた。
私はその後、しれっと自宅に帰り。
父親から言い付けられていた家のそうじ等をしてあたかも今日もちゃんと学校に行っていたかのような顔をする。
ある日、私のこんな日常が終る…
私が毎日学校に行ってなくても毎日私の自宅に電話してこなかった担任の先生が私の自宅に電話してきたのだ。
その日私はいつも通り公園に行くため両親が出かけた後、しれっと家を出た。しかし父親が何故かその後、家に帰ってきていたらしく、タイミングの悪い事に父親が担任からの電話に出てしまったのだ、長く休んでいるから担任は私の自宅に電話をかけた、しかし休んでいるはずの娘が自宅にいない。
当然。110番。
私は、何も知らず自宅に帰る。
家の前には白と黒のパトカー&覆面一台、後はバイクのお巡りさん。
家に入れば父親がビンタとともに激昂、とめに入る偶然来ていた親戚のおじさん。泣く母親。
地獄絵図…
警察の人やらなんやらが『無事で良かった❗』と言ってくれた。
涙が凄い勢いで出た。
こんな私が❔無事で良かった❔
両親はお巡りさんたちにお騒がせした事を謝り、お巡りさんたちはニコニコしながら帰って行った。
『この後が恐い』内心思った。
しかし普段父親の言いなりの母親が強く出た。
『学校に行きたくないならハッキリ言えば行かなくて良い❗』
すると父親の顔がひきつった。
しかし母親は引かなかった
『学校に行ってない時間、家事をして毎日教科書を何度も見なさい。』
『それから必ず高校には進学してもらいますからね❗』
珍しく父親が黙った。
オバチャンになってしまった私の遠い記憶…
多分、ある意味私は不登校のプロ。
次女の不登校は遺伝だな。
私みたいな母親でも逃げ場は作ってあげなくてはいけないと思う。
あっと言う間に9月。
世界レベルで考えれば不登校児はうちの娘だけではない。
みんな辛いんだろうと思う。
でもね、死ぬのは駄目よ。
勿体無いから。
輝く場所は学校だけじゃ無い。