2021年3月

無事小学校を卒業しました。

1年生になる頃は
治療がもうできなくなって
放射線も抗がん剤も
あの小さな体に入れれるだけ
いれてあとのことはどうなると
思っていたのか・・・

放射線の決断の時は
とても辛かったのを覚えています。

予後の経過を見ればこの放射線の量が
その先にどれくらいの影響を
与えるのかということを
話したと思います。
それでもこれだけしても
生きのびれるか分からないレベルです。
という言葉にもう何も言えなかったです。

選択肢なんていつもなかった。
しなければ死。
そのくらいひどい状態でした。

後遺症よりもただ数ヶ月ずつ
生きれることを延ばせたら
というような。

治療ができなくなって
退院して免疫も弱っていて
ごはんも食べれなくて
調子が悪くなって入院して
それを繰り返して

でももし再発してももう同じ治療は
できないし臓器も弱っていて
数ヶ月で再発したら
緩和ケアに入ることの話をして
退院しました。

小学校へは通えるだけ
行かせてあげてください。
時間がないと思うから。
退院はとってもうれしかったけど
心はとっても絶望していました。

それでも学校へ数時間 半日 1日
歩くこと 走ること 泳ぐこと
いろんなことを一つずつ
増やしてきた6年間でした。

退院して経過観察になり
腫瘍も小さくなっていって
最終大きさが固定されて
それからは増大することもなく
悪性腫瘍とは共存は
していけないから
これは腫瘍じゃなくて
放射線を受けた痕みたいな
感じなんじゃってなって
今もそのまま。

命の危機を感じていた頃を
考えると今はとても平穏です。

そう思うと人は本当に怖い生き物だと
自分でも思う。

あんなにあたりまえが
あたりまえでないことを経験して
それは頭にも胸にも刻み込まれて
いるんだけれど
毎日を1日1日を時間を大切にしようって
生きていたあの頃とはまた違って
ダラダラ無駄にしている1日も
たくさんあったし
怒って終わらせてしまった1日も
今ではたくさんある。

明日が来ることがあたりまえでは
なくてそれは病気をしていなくても
同じで1日を大切にちゃんと
後悔のない日々を過ごそう!って
思っていたのに
明日がまたあたりまえに来るというような
思考回路がやってきて
コラコラと思ったり
あーちょっと心が癒えてきたのかなぁとも
思ったりする毎日です。

おぅの状態は今も経過観察で
3ヶ月毎のMRIは半年ごとになって
2019年5月 身長の伸びがほぼ
止まってしまって検査。
ほぼゼロ。成長ホルモンはでてない。
もう身長は伸びない。

それでも成長ホルモンをうつことは
腫瘍にどう影響するかが
わからないからと時期を待って
怖いけどこれからを考えたら
1センチでも高くなりたい。
何度もおぅと話し合って決めて
成長ホルモンを開始して2年
9.2㎝伸びた。
143㎝でまだまだ小さいけど
成長ホルモンもおぅの場合
効く可能性が低くてって話だったから
1㎝伸びるたびに喜んでる
いいと言われることは全部
とりあえずやろうって
いろんなことをしてみたり

成長とともにいろんなことが
やっぱり心を傷つけていて
身長もそうだし髪の毛も
あとは記憶もなかなか難しい。

そんな中、成長ホルモンが
本当に効いてくれたことは
精神的にもとてもよかったと思う。

同じ歳の子達が出来ることを
同じようにしたいって
それあたりまえなんだけど
やっぱりできないことも
もちろんあって
しかたないなって何度も
心の折り合いをつけてきた。

私は私で
入院していた時は外の世界から
寸断されているような感じでいて
退院したら
それはそれでまた急に明るくも
なれなくて
元気な子供たちを見て
なんでおぅだったんだろうと
思ったり病気を経験して
いない子達と比べてしまったり
出来ない事ばかりに
目線が向いてだめだーってなったり
とても心がずっと前向きで
いることは難しかった時も
ありました。

病気と闘っている子達をみれば
心の底からどうかよくなります
ようにと願い続けるし
それでも亡くなった子たちを
思うと苦しくなって
生きていることは何なのか
どう違ったのか
どうしてこういう運命になったのか
と答えもでない想いが
ぐるぐる巡って
また心の安定がとれなくなったり
して経過のブログを書くことからは
遠ざかるようになっていました。
(下書きが何件かあったので
同時にやっとアップした汗

でもこのブログを書いた時のことを
思い出した。

消えないあの大きな腫瘍に
絶対勝ってやるって思ってた。
あの頃はあまりいい情報もなくて
先が見えなくて怖くて
立ち向かえない日もあって
それでも立つしかなくて
同じ症状や経過ではなくても
これが目に止まった
闘ってる子供たちや家族に
少しでもがんばれる力に
なれたらと思ってた。

おぅはゆっくりですが
なんとかがんばってます。

きっとこれからも
この繰り返しなんだと思います。

病気のことは元気に過ごせていても
消せることではないし
これからもまだ出てくる後遺症と
一つ一つ闘っていかなければ
ならない。

前を向けたり立ち止まったり
後ろに下がることだってある。

それでも今がまた過去になって
思い出が増えていく。

その思い出を振り返った時少しでも
笑ってる時間を多くできるよう
今をがんばるしかない。

病気がなくても明日は誰もわからない。

無駄に過ぎたなーって日々も
もちろんあるけど
おぅが心から笑えて幸せを
感じれる時間が増えるよう
見守っていきたいと思います。

4月からは中学生です。
制服のズボンが長ズボンになっただけで
なんかすっかり坊ちゃんでは
なくなった。

泣いてもまた笑えるように
親子でがんばります。

卒業おめでとう❗️