今日のランチタイムのできごと
アイスチャイを注文したのに
アイスコーヒーが運ばれてきた
「すみません、アイスチャイを注文していたのですが…」と言うと
慌てて取り替えてくれた店員さん
「ありがとうございます」と伝えてこの件は終了
家に帰る途中にふと思い出したのが
あるフライトアテンダントさんのお話
ファーストクラスの乗客対応でのできごと
注文されたものと間違った飲み物を出してしまったとき
乗客に「あれ?」という顔を一瞬されたので
アテンダントはすぐに間違ってしまったことに気き謝ろうとしたら
間髪入れず
「こちらも美味しそうね、これをいただくわ」
と言われ、感動した
というもの
同じような状況のとき
偉そうにだったり、嫌味ったらしく言ってくる乗客はもちろんろいる
ただ
ファーストクラスの乗客からは
「〇〇を注文したのですが」
とていねいに訂正されることはあっても
嫌味のように言われることはほとんどない
と言っていた
この話を聞いたとき
「このマダム(←勝手にマダム呼ばわり)の対応、スマートで素敵だな〜真似したいなぁ」
って思った、というのを帰り道に思い出した
思い出しついでに
よーくよーく掘り下げてみたら
素敵なのは「行動そのもの」ではないことに気づいた
そのマダムが
とっさに素敵な行動がとれる「生き方」や「考えかた」をしていることが素敵なんだと
ようは
相手のミスを受け入れてつつも
咎めるどころか
逆に相手のミスをミスじゃなくしてしまう
という心の余裕とか、柔軟性とか、その他もろもろをもっている
ということが羨ましくて憧れる部分だなと
こういうのって行動だけ真似できても
それを鼻にかけたりするんじゃカッコ悪いし
自分という存在に満足している人が、その行動をするからこそ
素敵になるし憧れになる
やっぱり大切なのは
「言葉」や「行動」以上に
湧き出てくる・溢れ出てくる
「思い」や「感じ方」だと思うなぁ
冒頭の「アイスチャイ」の一件も
一瞬だけ
「これをいただきます」って言えばよかったな
と思ったけど
みているポイントが「行動」に過ぎないことに気付いて分析すると
素直に湧き出た「アイスチャイ飲みたい」というほんとうの望みのを優先して
「アイスチャイを注文したのですが…」でよかったと思うし
急いで取り替えてくれた店員さんに対して
素直に湧き出た「ありがとう」が言えたことが最強だね
自分という存在に満足しているという状態
それに憧れる感情の旅はまだまだ途中なのです