わたしのお母さんは
人としての常識や躾をしっかり教えて育ててくれた人です
だから
幼い頃からきれいな言葉を使う人はすてきだなと感じるし
所作が上品な人には男女ともに憧れます
自分自身もそうありたいな〜と思い
素敵な言葉や素敵な人の所作は
繰り返し反芻し細胞の染み込ませてきました
ところで
それなりに美人で
きれいな言葉を使う人だし
控えめな人なのに
なんの魅力も感じない
反対に
へんてこな言葉を使うし
結構ガチャガチャした人なのに
とてつもなく魅力を感じる
ということってありませんか
学生の頃は、すてきな人や言葉に出会ったら
自分のものにしたい願望のほうがが強すぎて
ガサツさには意識してなかったけど
働き出してから
たまーにいる
この人ガサツなのになんで魅力的なんやろ
っていう人が不思議でした
スピリチュアルなことを勉強している間も
「きれいな言葉が現実を作る」
みたいなことが一般的な考え方で
だからこそ不思議だったんです
どーしてあなたガサツなのに魅力的なの
ってね
それが、この1年くらいで
自分から出てるエネルギーが自分自身や未来を作る
っていう考えかたを知って
納得できた気がします
一見ガサツな言葉や振る舞いにも
そこに乗せてるエネルギーが愛からできているからなんだって
わたしの尊敬する職場の先輩(男性)で
めちゃガサツな人がいます
お偉い「理事(リジ)」のことを「ジジ(ィ)」って呼び始めた人でもあります
もちろん理事ご本人(当時59歳)の前でも・・・
最初みんなえーーー
ってなってたけど
まもなくそのファンキーな「あだ名」は浸透し、理事(ジジ)はもっと愛される人になりました
いまはわかります、そこには間違いなく愛があったからだって
反対に
どんなに美人でおとなしい子でも
お客さん対応がヘタクソな子がいます
そういう子はどんなことにも
「そうですね」「おっしゃるとおりです」「なるほど」
ちゃんと研修で学ぶような言葉を使うのに
なぜかお客さんが怒ってしまう・・・
ずーっとこの原因はなんなのか?
と分からなかったけど
マニュアルの言葉を「言ってる」だけで
言葉を伝えてるだけで
言葉が伝わってるわけじゃない
そこには愛がないから
この一言で全て解決ですね
それがわかってから
わたしもガサツになる自分を許しています
むしろガサツを楽しもうとしています
いまも
上品な仕草や綺麗なことばが大好きだし
そういうものに出会うと辞書で意味を調べたり
練習したりして細胞に染み込ませることをやりますが
それと真逆の
ガサツさを楽しむこともやってます
エネルギーのことを知るまでは
怒ってる人を相手に、本当のことを言わず言い訳したり
にいいとこどりで伝えたりしてたけど
今は、謝らないといけないとこは正直に謝って
言いにくいことも愛を持って極力つたえたうえで
相手に信頼してもらい
解決策を提示するように心がけてます
それでもワカランチンのじじいもいるし
※文句言いたいだけのやつね
うまくいかないこともたくさんあるけど
そんな時は
デスクに戻って暴言吐きますけど(ここは愛を持って面白おかしくね)
どういう方法であれ自分に嘘をつかなくて良くなった分
ストレスはずいぶん減りました
どんなときも忘れないようにしてること
それは
すてきな言葉をつかうときも
ガサツな振る舞いをするときも
そこに愛のエネルギーが乗るようにすること
相手がめっちゃ嫌いなやつである場合を除いて・・・笑
※嫌いなやつには、なんのエネルギーも乗せないように意識してます
意識しないと、つい「悪のエネルギー」を乗せてしまうのでね
ではまた〜