8月23日(日)に「酒を止めたい人の集い」での女性んの依存症者の語らいです。
href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150905/21/typolice/84/4d/p/o0800045013416671846.png">
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若い頃の私は、アルコール依存症ではありませんでしたが、私の父、母そして兄はアルコール依存症でした。
ですから、私がアルコール依存症になる素因は充分にあったこととなりますし、御期待に漏れることなくアルコール依存症になったわけですが、そのきっかけとなったのが、二十歳の頃に大好きだった彼が、飲酒運転事故で死亡したことが引き金となって酒が手放せなくなり、「将来は、酒で死ぬんだなあ~」とまで考えながらいつも飲んでいました。
その後、ある男性と結婚して男の子二人を儲ける事となるわけですが、結婚後もお酒は飲み続けていたものの、家事等主婦としてすべきことはこなしていましたので別に気にすることもなく過ごしていました。
酒量が明らかに増え出したきっかけが、友人から教わった「置き酒」を覚えてからです。
「置き酒」とは、あらかじめ飲むためのお酒を買い置きして、飲みたくなったら飲むというもので、その都度買いに行く必要もなく手軽で、時間も取られることがないことからはまってしまいました。
その内、父がアルコールが原因の肝臓がんで他界すると共に、大好きだった兄も父と同じようにすい臓がんで他界したことで、私自身の気持ちが落ち込み、頼りになるはずの主人とも夫婦仲が悪くなり、イライラがピークに達して、飲む量も増えていきました。
主人とは、主人の私や私の母に対する暴言、暴力に耐えることができなくなり、「負けてたまるか」の性格もあり10年前に離婚、当時5年生の長男と2歳の次男それと足の悪い母の面倒を私一人で面倒みる形で新しい生活が始まりました。
アルコール依存症の母の容態は、アルコールの影響で足の末梢神経障害が父と兄の死をきっかけに悪化し、日々痛みを訴えるようになると共に、私自身金銭的・精神的にも窮地に陥っていたこともあり、現状から逃避するには母と私の二人で死ぬしかないと考えたうえで子供を別の家に避難させ、自殺を試みたのですが死ぬことができず滅茶苦茶な生活を送っていました。
今考えれば、完全に酒に体全体が犯されていたと思います。
当時は、子供の児童手当と行商で得たお金で生活を続けていたものの、一日中酒ぴたりで食事も喉を通らず子供たちが心配するほど痩せていき、担当の民生委員から生活保護の受給申請の提案を受けたのですが、拒否し続けました。
しかし、子供たちの将来を考え普通の生活を取り戻し出直しを考えて、門司の田ノ浦病院に入院することとなったのですが、思っていた通りに「アルコール依存症」との診断を受けました。
その時は、ショックなどなく「あーやっぱりね。」といった感じで3ヶ月の入院生活を過ごしたのですが、二人の子供や母のことで治療に専念できず、逆に 「退院したらまた飲めるさ」といった否認ではなく、-種のあきらめの状態で入院生活を過ごしました。
ですから退院日に再飲酒するとともに、日々の飲酒の状況は酒ぴたり状態が続き、警察沙汰は当たり前、担当の福祉に方が来られても悪態をつき、当り散らし担当の方が泣くことも度々ありました。
この頃に、飲酒運転による事故を起こし罰金50万円の処分を受けたのですが、払う当てもなく佐賀県の女性刑務所で労役に服することとなり、児童相談所の指示で二人の子供は別々の施設で暮らすこととなりました。
その後も酒が止まることはなく、昨年酒が原因で事件や飲酒運転等を犯してしまい運転免許の取消し処分と実刑10ヶ月執行猶予3年判決を受けると共に裁判長からアルコール治療に専念するよう指示され、弁護士先生の取り計らいで倉光病院で入院治療することとなりました。
このような状態であるにもかかわらず、私自身の中には「退院したらまた飲んでやる。」との考えがあり、犯してしまったことに対する後悔や反省という気持ちは全くなかったのです。
今思えば、酒に支配されていたにもかかわらず、その事を否定し「酒に負けてたまるか。」と言った酒に勝てる、酒を支配しようとしていた自分がいたのだと思いますし、ある意味酒の恐ろしさを全く理解していなかったと思います。
倉光での3ヶ月間の入院生活も終わりを迎えようとした時、ある方から「あなたは、退院せんほうがよか。ここのホームで1年間酒を止めてごらん。きっと酒に対する考え方が変わるから。」と言われたことがきっかけとなって、今迄の自分自身を見つめ直してみた結果、「自分自身が酒で大変な経験をしたにも拘らず、反省すらせず酒を止めるという努力をしていない。」事に気が付いたのです。
この事が良いきっかけとなって「よっしゃあ-1年間だけ、物は試しに止めてみよう。」と思い立ち、気持ちも切り替わり心の振り子が音を立てて逆に振り始めたような気持ちになりました。
この時はじめて私の断酒への挑戦が始まりました。
ただ、病気の母の事が心の片隅に残っていたのですが、倉光のグループホーム入居日の一週間前に他界し、悲しみの中他界した母のためにも立ち直って見せようとの意思が固まりグループホームでの生活がスタートしました。
グループホームでの入居治療は、毎日が充実感を味わうことができ教わることもスラスラ頭に入り、アルコールの恐ろしさが理解できると共に、「酒はもう飲めないんだ。止めなければいけないんだ。」という事を認めることができました。
断酒ができている自分に憧れるようになり、「カッコいい。」と思うようにもなりました。
グループホームから退院後4ヶ月、最終飲酒日の昨年11月27日から通算
9ヶ月経ちますが酒は一滴も飲んでいません。
今では、少しの飲酒欲求が出たときをいち早く再発ととらえ、 「毎日が辛かったではないか。あの辛さを思い出せ。」
「酒を支配しようとして、支配されていた自分を思い出し、断酒している今の日々の嬉しさと喜びを思い出せ。」
「今、カッコいいことをやっているのだ。」
と自分に言い聞かせる事ができるようになりました。
今現在ですが、お調子者で目立ちがり屋の私にうってつけの言葉「カッコいい。」を大声で連発することで、飲酒欲求を消し去ることができます。
私にとって飲酒欲求は「魔王」と呼んでいます。
そうです、皆さんもお分かりの通り焼酎の魔王のことですが、最後に飲んでおけば良かったと思ったのが魔王だからそう呼んでいます。
常に魔王さんが側にいらっしゃるだと思うことで、無理のない断酒が継続できております。
現在、長男と二人で生活はしていますが、未だに次男との生活は児童相談所の許可が下りず次男は福祉施設で生活していますが、断酒が継続している私の姿を見た子供たちは、「奇跡だ。」と言っておりますし、私自身も不思議です。
将来、家族3人での生活ができるためにも断酒を継続し、経済的な基盤もしっかりさせないといけないと考えています。
私にとって、今回のテーマを達成するための第1歩はアルコール依存症を病気だと認め、常に魔王が襲ってくることを念頭においた上で、自分の身の丈にあった断酒生活を続けること。そして、失敗しても悲観することなく前向きに生きていくことが明るい未来の構築に繋がると考えています。
今、皆さんの前でスピーチしている私はとてもカッコよいと思っています。

断酒継続を期待します。

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ですから、私がアルコール依存症になる素因は充分にあったこととなりますし、御期待に漏れることなくアルコール依存症になったわけですが、そのきっかけとなったのが、二十歳の頃に大好きだった彼が、飲酒運転事故で死亡したことが引き金となって酒が手放せなくなり、「将来は、酒で死ぬんだなあ~」とまで考えながらいつも飲んでいました。
その後、ある男性と結婚して男の子二人を儲ける事となるわけですが、結婚後もお酒は飲み続けていたものの、家事等主婦としてすべきことはこなしていましたので別に気にすることもなく過ごしていました。
酒量が明らかに増え出したきっかけが、友人から教わった「置き酒」を覚えてからです。
「置き酒」とは、あらかじめ飲むためのお酒を買い置きして、飲みたくなったら飲むというもので、その都度買いに行く必要もなく手軽で、時間も取られることがないことからはまってしまいました。
その内、父がアルコールが原因の肝臓がんで他界すると共に、大好きだった兄も父と同じようにすい臓がんで他界したことで、私自身の気持ちが落ち込み、頼りになるはずの主人とも夫婦仲が悪くなり、イライラがピークに達して、飲む量も増えていきました。
主人とは、主人の私や私の母に対する暴言、暴力に耐えることができなくなり、「負けてたまるか」の性格もあり10年前に離婚、当時5年生の長男と2歳の次男それと足の悪い母の面倒を私一人で面倒みる形で新しい生活が始まりました。
アルコール依存症の母の容態は、アルコールの影響で足の末梢神経障害が父と兄の死をきっかけに悪化し、日々痛みを訴えるようになると共に、私自身金銭的・精神的にも窮地に陥っていたこともあり、現状から逃避するには母と私の二人で死ぬしかないと考えたうえで子供を別の家に避難させ、自殺を試みたのですが死ぬことができず滅茶苦茶な生活を送っていました。
今考えれば、完全に酒に体全体が犯されていたと思います。
当時は、子供の児童手当と行商で得たお金で生活を続けていたものの、一日中酒ぴたりで食事も喉を通らず子供たちが心配するほど痩せていき、担当の民生委員から生活保護の受給申請の提案を受けたのですが、拒否し続けました。
しかし、子供たちの将来を考え普通の生活を取り戻し出直しを考えて、門司の田ノ浦病院に入院することとなったのですが、思っていた通りに「アルコール依存症」との診断を受けました。
その時は、ショックなどなく「あーやっぱりね。」といった感じで3ヶ月の入院生活を過ごしたのですが、二人の子供や母のことで治療に専念できず、逆に 「退院したらまた飲めるさ」といった否認ではなく、-種のあきらめの状態で入院生活を過ごしました。
ですから退院日に再飲酒するとともに、日々の飲酒の状況は酒ぴたり状態が続き、警察沙汰は当たり前、担当の福祉に方が来られても悪態をつき、当り散らし担当の方が泣くことも度々ありました。
この頃に、飲酒運転による事故を起こし罰金50万円の処分を受けたのですが、払う当てもなく佐賀県の女性刑務所で労役に服することとなり、児童相談所の指示で二人の子供は別々の施設で暮らすこととなりました。
その後も酒が止まることはなく、昨年酒が原因で事件や飲酒運転等を犯してしまい運転免許の取消し処分と実刑10ヶ月執行猶予3年判決を受けると共に裁判長からアルコール治療に専念するよう指示され、弁護士先生の取り計らいで倉光病院で入院治療することとなりました。
このような状態であるにもかかわらず、私自身の中には「退院したらまた飲んでやる。」との考えがあり、犯してしまったことに対する後悔や反省という気持ちは全くなかったのです。
今思えば、酒に支配されていたにもかかわらず、その事を否定し「酒に負けてたまるか。」と言った酒に勝てる、酒を支配しようとしていた自分がいたのだと思いますし、ある意味酒の恐ろしさを全く理解していなかったと思います。
倉光での3ヶ月間の入院生活も終わりを迎えようとした時、ある方から「あなたは、退院せんほうがよか。ここのホームで1年間酒を止めてごらん。きっと酒に対する考え方が変わるから。」と言われたことがきっかけとなって、今迄の自分自身を見つめ直してみた結果、「自分自身が酒で大変な経験をしたにも拘らず、反省すらせず酒を止めるという努力をしていない。」事に気が付いたのです。
この事が良いきっかけとなって「よっしゃあ-1年間だけ、物は試しに止めてみよう。」と思い立ち、気持ちも切り替わり心の振り子が音を立てて逆に振り始めたような気持ちになりました。
この時はじめて私の断酒への挑戦が始まりました。
ただ、病気の母の事が心の片隅に残っていたのですが、倉光のグループホーム入居日の一週間前に他界し、悲しみの中他界した母のためにも立ち直って見せようとの意思が固まりグループホームでの生活がスタートしました。
グループホームでの入居治療は、毎日が充実感を味わうことができ教わることもスラスラ頭に入り、アルコールの恐ろしさが理解できると共に、「酒はもう飲めないんだ。止めなければいけないんだ。」という事を認めることができました。
断酒ができている自分に憧れるようになり、「カッコいい。」と思うようにもなりました。
グループホームから退院後4ヶ月、最終飲酒日の昨年11月27日から通算
9ヶ月経ちますが酒は一滴も飲んでいません。
今では、少しの飲酒欲求が出たときをいち早く再発ととらえ、 「毎日が辛かったではないか。あの辛さを思い出せ。」
「酒を支配しようとして、支配されていた自分を思い出し、断酒している今の日々の嬉しさと喜びを思い出せ。」
「今、カッコいいことをやっているのだ。」
と自分に言い聞かせる事ができるようになりました。
今現在ですが、お調子者で目立ちがり屋の私にうってつけの言葉「カッコいい。」を大声で連発することで、飲酒欲求を消し去ることができます。
私にとって飲酒欲求は「魔王」と呼んでいます。
そうです、皆さんもお分かりの通り焼酎の魔王のことですが、最後に飲んでおけば良かったと思ったのが魔王だからそう呼んでいます。
常に魔王さんが側にいらっしゃるだと思うことで、無理のない断酒が継続できております。
現在、長男と二人で生活はしていますが、未だに次男との生活は児童相談所の許可が下りず次男は福祉施設で生活していますが、断酒が継続している私の姿を見た子供たちは、「奇跡だ。」と言っておりますし、私自身も不思議です。
将来、家族3人での生活ができるためにも断酒を継続し、経済的な基盤もしっかりさせないといけないと考えています。
私にとって、今回のテーマを達成するための第1歩はアルコール依存症を病気だと認め、常に魔王が襲ってくることを念頭においた上で、自分の身の丈にあった断酒生活を続けること。そして、失敗しても悲観することなく前向きに生きていくことが明るい未来の構築に繋がると考えています。
今、皆さんの前でスピーチしている私はとてもカッコよいと思っています。

断酒継続を期待します。
