3歳で、千葉県から東京都立川市に引っ越してきた。

 

父は「自分の店を持ちたい」という願望の持ち主で、コンビニ経営をしていた。

父と母2人が頭で、基本的に母が昼、父が夜の責任者として店にいたようだ。が、両親がそろって家にいた記憶もあるので、彼らの代わりとなる存在もいたのかもしれない。

1階がコンビニで、2階は自宅だった。

 

父は夜勤のストレスからか、しばしば家庭で怒鳴っていた。

両親の口論中に、妹と抱き合って毛布にくるまって泣いたことがある。

 

 

 

4歳になる年に保育園に入園した。

保育園で自分が最も苦しんたのは、おそらく毎日の昼食であろう。

当時から偏食が激しく、嫌いなものは水で流し込まないといけなかった。咀嚼していると吐き気がこみ上げてくるからだ。

特に卵料理が大の苦手であった。

あの頃は親も完食教育を強いていて、夕飯の卵豆腐が何分かけても食べられなかった。

この、嫌いなものを戻してしまうのは、asの知覚過敏の現れではないだろうか。

 

小学校入学以前の記憶は非常に曖昧であり、書ける記憶が殆どない。

たった1つ、as由来、定型とは違うのでは? と思われる出来事を憶えているので、それを書いて本記事を終える。

尿意を感じて、自分でトイレに行けなかった。

1人でトイレに行けなかったのか、尿意よりも遊びを優先していたのか? 何故かはわからないが、とにかく用を足すべき場所に行って用を足すことができず、その場に漏らすことが幾度もあった。

そして、その度に先生にすぐ言うことができなかった。尿でびしょびしょの下着とズボン、あるいはシャツもだったか、とにかく毎回そのままずっと耐えていたのである。おかげで尿かぶれを起こしていた。