昨日の夜BSを見ていたら、
緊急地震速報の不安にさせる音と同時に、
携帯も緊急地震速報が。。。
すぐにゆっくりした揺れ、しばらく続きました。
私の住んでいる地方は震度3でしたが、
久しぶりの緊急地震速報に、東日本大震災の記憶が甦ってきました。
長野県には被害が出ているようで、
ニュースを見るたびに、
1日でも早く日常が取り戻せるよう、
願わずにはいられません。
私には仙台にお嫁に行った妹がいます。
5歳離れているので、忙しい母にかわって、
妹をおんぶして遊んだり、何をするのもついてくる可愛い妹が、
いつの間にか私より大人になり、今では2人の子供の母親です。
幸い仙台でも海側ではなかったので、
人的な被害はありませんでしたが、
建てたばかりの家がひびだらけになり、
ライフラインが止まり、
精神的に参ってしまったある日、
【お姉ちゃん、いつまでこの生活が続くの?】
【なんでこんな目にあうの。。】
と電話で泣いていました。
姉として、なんとか助けてあげたかったけれど、
交通も麻痺していて、助けに行くことができず、
必死に考えて言った言葉が、
【明けない夜は絶対にないから。朝は必ずくるから。
助けに行けるようになったら、必ずお姉ちゃんが行くから。。】
それしか言えなかった。。。
震災から13日後、東北道が全線開通した日、
妹から【子供たちだけでも助けて欲しい】と電話があり、
救援物資を車にいっぱい積んで仙台へ。
東北道はボコボコで、走ってる車は自衛隊か、
全国からの災害応援の救急車と消防車ばかり。。
途中のSAでは、休憩していた関西の消防隊の方から、
【お姉ちゃん、頑張るんやで】
と言ってもらって、勇気をもらいました
7時間かけて到着した仙台は、文章で表現できないくらい。。。
同じ日本なのか。。。。と。。
妹は、【みんな頑張ってるんだから、あとすこしだから、
明けない夜はないね。お姉ちゃん。】
と言って、子供たちだけを実家に預けるよう言って、
自分は仙台に残りました。
私が苦し紛れに言った【明けない夜はないよ。朝は必ずくるよ】
と言った言葉が、妹を奮い立たせたと知って、
姉は号泣することしかできなかったよ。。。。
知らない間に、私や親も知らない街で、
大人になっている妹が誇らしかった。。。。
昨日の夜は、なかなか寝付けず、
朝早く目が覚めたら、

朝日がきれいな影絵を作ってました。

明けない夜はない。。。。
そんな言葉を思い出せてくれた影絵でした。
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