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感動をありがとう!

感動した話をご紹介します♪

「上杉謙信の誕生~こだわりを捨ててうまくいった~」



1560年代、上杉輝虎(謙信)30代半ばの頃の話です。

当時、上杉家は甲斐の武田家、関東の北条家などと戦をしていました。

上杉家の利益のための戦ではなく、武田家や北条家が侵略してきたから助け欲しいと他の家に頼まれてのものでした。




輝虎には「依估(えこ)によって弓矢は取らぬ 筋目によって合力する」、つまりは「自分の利益のためには戦わない、この世の筋目に沿って人に力を貸す。」というポリシーがあったからです。




しかし、上杉家は一枚岩ではなく、相手国も強敵です。なかなか決着がつかず、5年連続で出兵していました。




関東遠征をやめるわけにもいかず、6度目の遠征で北条家の臼井城を攻めました。

上杉家にとって不利な地形で、なかなか攻め落とすことができません。

そこで、輝虎は総攻めを命じました。




結果は、数千人の死傷者を出し、輝虎にとって初めての負け戦となりました。



この負けを機に家臣の中に敵に寝返る者が相次ぎました。



家臣にとっては、勝っても領地がもらえるわけでなく大してメリットにもならない戦が続いていました。得のない戦。しかも負けたとなって心が離れてしまったのです。



輝虎の戦は人を助けるためにするというこだわりは、家臣に犠牲を押し付け続けていたのです。



そんな折、輝虎に転機が訪れます。



輝虎が幼少期を過ごし学んだ林泉寺に、新たに優れた住職が来たと知り尋ねました。



住職は輝虎に会うやいきなり一喝しました。

「達磨不識」の話をいかに合点なされているか!さぁ一言いうてみなさい!!さぁ早く!!!」



「達磨不識」の話とは、古代中国で禅宗を開いたとされる達磨大師と、仏教に熱心な皇帝の問答でのことです。



皇帝「自分は仏のためたくさん寺を作りお布施をしてきました。どれほど価値があるでしょうか?」

達磨「あなたのしたことに価値などない」

皇帝はむっとして「では、高名な僧侶であるあなたに価値はあるのですか?」

達磨「不識(識(し)らぬ)」



輝虎は、自分の力、自分のやり方に価値があると思い、こだわっている己自身をさしているのではないかと考えました。

そこから、ある結論を導き出しました。

「自分の行いや、自分自身の価値など知らなくてよい。こだわりを捨て、あるがままに生きるのだ」と。



輝虎は41歳で出家しました。

名乗った法名は「不識院謙信」 

謙の字は、導いてくれた僧、益翁宗謙から一字授かりました。



これを機に、謙信は方針転換をします。

人助けの関東遠征は減らし、上杉家の領地を拡大し、家臣に恩賞を与えることのできる西に向かい、戦をしたのです。



こうした謙信のもとで、家臣は結束を固めていくことになったのでした。



自分の想いに囚われすぎて周りが見えていなかった、輝虎。

ですが、こだわりを捨てて、あるがままに生きようと結果、歴史に名を残す大人物となったのでした。



自分の行いや自分自身に価値があるかなんてわからない。

それならば、こだわりを捨ててあるがままに生きてみませんか?