戦後70年、48歳の私ですら既に両親共に戦争の記憶の無い世代です。


それでも周りには戦争の記憶があって、お話を伺う機会はあります。


秋田市では、土崎港地区で終戦前夜14日から15日未明にかけての
土崎空襲がありました。

最後の空襲のひとつです。


そこで生まれ育った先代のお茶の先生は、
「ひでがったな~、あれを地獄絵図って言うんだべな~」って仰っていました。


母方の祖父の実家はそこから二十数キロ離れた海沿いの町で、
そこに母と伯父達を連れて疎開していた祖母から
「浜から見だっけ秋田の空が真っ赤だった」と聞きました。


また、父方の大叔父は戦地で亡くなっているのですが、
伯父から「骨壷さ石が三つ入れられで届けられだ」って教えてもらいました。
遺骨は帰ってきていません。


そして、何度も伺うのが、裏千家大宗匠が講演会等で語られる、
学徒出陣で特攻隊員だった頃のお話と、
その後、平和のためにお茶の心を世界に広めたお話は、
そろそろ自分でも語り伝えられそうですが、
伺うたびに、拝見するたびに、涙があふれます。


私が伝えて頂いた事を、記録しておきたいと思いましたので、
ここに記させて頂きます。